何となく指値買注文出しておいた2000年8月中旬のある日。翌日の夜、私は自宅で約定照会をして初めて「株主」となったことを知った。「うわー買えちゃったよ」と不思議な気分だった。この時買ったのは大林組を434円で1000株。43万4千円(+手数料)の買い物なのに、私がしたことと言えば指値を入力して「買い」のボタンをクリックしただけ。品物が届くわけでもなし、それだけの金額をはたいたという実感はない。
買い注文が約定したのがわかるやいなや、私は売り注文を出した。売値の目安としては買値プラス10円前後と見当を付けていた。しかし、実際に注文を出すときは決心が揺らぐ。薄利多売買と決めたのに、「行くぞ一攫千金!」というかけ声が頭の中を駆けめぐる。一方で、手堅いバント作戦でこつこつ点を積み上げる高校球児のような心境も捨てきれない。迷いに迷ったあげく、エイヤと443円で売り注文を出す。何度も指値を修正しないようにするため、すぐにPCの電源を切って寝た。
翌日の夜、私は帰宅後すぐにパソコンを立ち上げた。口座番号とパスワードを入力するのももどかしく、自分の画面にアクセス、そして約定照会、燦々と輝く「約定済」の文字!443円で売れたのだ!!
手数料とおおよそ見積もった税金(申告分離で取り引きした)を差し引くと、純益は4000円強。「手数料と税金さえなければ9000円丸儲けなのに!」、とカッカするようになるのはまだ後のこと、このころの私は「クリックしただけで4000円ももうけた、どうしよー」と有頂天になるかわいい奴だったのである。
早速母に自慢がてら報告。予想通り彼女は「すごい!天才!自分もネットでやりたい!」と言い出したので、「これはきっとビギナーズラック。もう少し研究したいからまだ他人様に教えられる段階ではない」と切り上げた。母にネットトレードを伝授するとなると、インターネットの接続どころか、PCのスイッチの入れ方から説明しなければいけない労苦を思うとどうしても後回しにしたくなるのである。
が、「ビギナーズラック」と言う理由もあながち嘘ではない。私は1数年前、父に連れられて初めて入ったパチンコ屋「マックス」で、500円の投資で5000円分の玉を出した。「すごい!才能がある!」と父におだてられ、一瞬「パチプロにでもなろかしらん」と結構その気になった。今思えば、父は自分がパチンコに出かけていく時背中に感じる家族の冷たい視線を和らげるため、仲間を増やしていこうと考えていたのだろう。それからもちょくちょくパチンコに誘われ、私は調子に乗ってついていった。しかし2回目からは見事に連敗。1万円のパッキーカードがあっという間になくなった5回目を境に、パチンコとはすっぱり縁を切った。
そんなことがあったものだから、私はことギャンブルに関しては「ビギナーズラック」を固く信じている。まあ株はギャンブルとはちょっと違うよなと思いつつ、今回の4000円もビギナーズラックの一種かも、と不安を捨てきれない。しかしクリック一つで4000円の魅力にとりつかれた私は、またすぐに次の買い注文を出した。
こんなことを繰り返し、8月は買いと売りの往復を計6回行った。とにかく買えたらすぐ売り注文を出したので、株保有期間は最短で1日、長くても7日間だった。取引銘柄は大林組、日本航空、三菱伸銅、全日空、オカモト、東亞合成の6つ。いずれも、当時で200円台から400円台の株である。手数料、そして税金(全て申告分離)を差し引いた肝心の純益は約2万円。1回の売買で平均3300円程度の儲けということになる。ほとんど何もしてなくて転がり込んだお金だ。普段「仕事」ということでやむなく1日の大部分を拘束され、上司に嫌みを言われながら無駄な書類を作成して初めていただける給料とは大違い。
私は早速皮算用をした。「売買を1日に1往復したとして1日3300円、営業日が月に20日、3300円X20日=6万6千円。この調子で元手が増えれば売買株数も増やせるし、いずれ株の月収=給料も夢ではないのでは!?」と色めき立ったところで、次号9月の戦果へと続く。
2001.04.13
◆CANE