最近新聞紙上東京日日新聞の文字が目立ちますね。しかし今では東京日日新聞という新聞は無いです。
新聞といえば有名なのが朝日新聞、読売新聞、そして毎日新聞ですが、この毎日新聞の前身が東京日日新聞です。東京日日新聞は1872年旧暦2月に日本で初めての日刊紙として創刊され1943年に大阪毎日新聞と統合、その後毎日新聞になりました。
ちなみに読売新聞の創刊は1874年11月東京で創刊されました。呼び売りをしたことで有名です。また朝日新聞は1879年1月に大阪で創刊されました。純粋に関東の新聞は読売新聞だけで、朝日新聞、毎日新聞は関西系であるので、東京人、巨人ファンが多い関東では読売新聞が根強いというのがうなずけます。
さて、明治の初期、新聞とはNEWSの訳で「新しく聞いたこと」という意味で使われていましたが、必ずしも日刊ではなかったのです。東京日日新聞というのはその名から見てもわかるように、「日刊」を打ち出した画期的なものだったのです。
1872年という年は鉄道が開通し、東京大阪間の電信も開通。さらには全国に郵便が施行された年で、通信手段が大発展した年です。今でいうとIT革命ですが、昨今のIT革命よりももっと改革的だったといえます。新聞も多発され、東京日日新聞以外にも全国で多くの新聞が創刊されました。
表題の「錦絵新聞」とは明治時代のはじめ、当時の日本初の日刊新聞である「東京日日新聞」などから、殺人事件、情痴事件、美談、怪異譚といった民衆の嗜好にあう題材を選び、当時の有名な浮世絵師がわかりやすく錦絵で解説したビジュアルな解説新聞です。今で言えばフライデーやフォーカスなどの写真週刊誌と同類で、当時の民衆のノゾキ欲を満たすワイドショー的存在だったのでしょう。
新聞といっても、目で見て楽しいものであったため、爆発的にヒットしましたが、本紙である日日新聞自体も挿絵を増やしたり、くだけた庶民的な記事を載せるようになったため、錦絵新聞の存在が無意味になって、明治10年、西南戦争を迎える頃には廃刊されてしまいました。まさに時代の仇花だったといえるものです。