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[442]死刑

人は「迷い悩む」生物です。迷って悩んだらその回答は大自然の求めるといい。大自然はやさしくその回答を与えてくれます。

たとえば死刑の善悪。大いに悩むところです。しかし、考えてみると死刑は人類特有のものです。他の生物で死刑なんてものがあるでしょうか?社会をなす動物世界では私刑(リンチ)はある。しかし、それは力の顕示のためで相手を抹殺することはありません。

本来「刑」とは犯罪人の更正を目的としたものが多い。その中で死刑は更正を求めず存在そのものを抹殺するという点で異端です。死刑求刑の論旨の中には必ず「被害者の心情」というのがあります。要するに死刑は敵討ちなのです。

日本は死刑廃止に消極的な国で有名です。ヨーロッパでは死刑は名実ともに廃止されています。アメリカでは逆に死刑制度を強化しています。死刑制度が文化の一端とするならば、やはりヨーロッパは一歩進んでいるといえましょう。

さて、ここからは私見です。過去の経験からこういう話題はたくさん抗議が来るのですが、私見ということで抗議は勘弁願いたい。

私は制度としてはやむをえないと思いますが、基本的に死刑は好きではありません。死刑より、犯罪人は永久に隔離してそこで更正させる、あるいは新たな人生をやり直させるというほうが自然でしょう。

極悪人は人類全体の汚点です。汚点をまっすぐに見つめることでわが身正すことができると言えないでしょうか?わが身のガン細胞を切り取って捨て去るより、そのガン細胞を培養して観察する。そうすることにより、我々の内面に持っている犯罪というモノを解明することができるのでは?

そしてもう一つ。怖いのは冤罪であります。無実の罪を着せられて死刑になった人がいないとは言えません。もし一人でも無実の罪で死刑になった人がいるなら、これは全人類が死刑に処せられてもいい犯罪であるといえます。「被害者の心情」をはかるならそういうことになります。いまのところ冤罪は笑ってごまかされているといえます。私はそんなのはごめんですね。そう言う意味でも死刑はやっぱり好きじゃない。

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