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[482]A級戦犯

A級戦犯とよくいわれますが、A級戦犯という正式名称は無いんですね。第二次世界大戦の戦争責任を問われた「東京裁判」では、以下の要項に基づき戦犯者が決定されました。けれども、A級、B級と決定されたわけではありません。俗にそういわれているだけです。A級とは最も重要な、という意味で使われています。

(1)「平和に対する罪」(共同謀議して、侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行して世界の平和を撹乱したという罪)

(2)「通例の戦争犯罪」(戦争の法規および慣例に違反したという罪)

(3)「人道に対する罪」(非戦闘員に対して加えられた大量殺戮、奴隷的虐待、追放その他の非人道的行為)

東京裁判ではこれらにのっとり、多数の戦犯容疑者のうち28名をもっとも重要な戦争責任のあるもの「A級戦争犯罪人」として起訴し、昭和21年に裁かれました。判決は2年後の昭和23年11月12日に下され、7名が死刑、16名が終身禁固刑、2名が禁固刑となりました。(28名のうち、1人は病気のため免訴、2名は裁判中病死)

連合国によって「A級戦犯」とされたのは以下の人たちです。

[絞首刑]7名
東條英機(首相兼陸相、陸軍大将12月23日処刑)
板垣征四郎(陸軍大将)
土肥原賢二(陸軍大将)
松井石根(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)
武藤章(陸軍中将)
廣田弘毅(駐ソ大使)

[終身禁錮刑]16名
荒木貞夫(陸軍大将)、橋本欣五郎(陸軍大佐)、畑俊六(陸軍元帥)、平沼騏一郎、星野直樹、賀屋興宣、木戸幸一、小磯國昭、南次郎、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、梅津美治郎

[禁錮刑二十年]1名
東郷茂徳

[禁錮刑七年]1名
重光葵

この他にも「A級戦犯」として逮捕され、東京裁判の被告席に座らされながらものちに釈放された大川周明氏や岸信介氏を始めとする約250名の「A級戦犯」容疑者がいたとされます。

さて、A級戦犯者を祀り、それを一国の首相が参拝することは、公式非公式にかかわらず諸外国が注目するのは当然のことと思います。しかし、これを内政干渉とするか否かは別として、日本国にとって戦争とは何であったのかを仔細に考える必要はあると思います。教科書問題にしても同様です。

しかし、戦争は既にかなり遠い昔の出来事になっており、資料もなく、また人間は昔のことは忘れるようにできております。戦争経験のあるおじいちゃんおばあちゃんがご健在の方は一度聞かれてみるといいでしょう。言えなかったた本音もポロリ聞けるかもしれません。

※話をわかりやすくするため、戦争顛末をかなり端折っております。ご了解ください。

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