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[823]力道山

力道山といえば戦後の混乱期に「空手チョップ」をひっさげて登場したプロレス界のヒーロー。八百長といわれながらも、悪役外人レスラーを正義感よろしくやっつける姿に日本中が沸きました。まだ全家庭にテレビが無い頃で、プロレスの時間になると人々は駅前の街頭テレビに群がり、あるいはテレビのある家にお邪魔して見させてもらったものです。

当時のレスラーには、コワルスキー、鉄人ルーテーズ、歯をヤスリで研ぎながら登場するブラッシー、元祖覆面レスラーで4の字固め考案者のデストロイヤーなど、今思うとほほえましいキャラクターが揃っていますが、これも興行師「力道山」の演出だったのです。なぜならこれら外人レスラーは力道山がアメリカから呼んだのですから。

力道山はもともとは相撲界の力士です。力道山というのは四股名(しこな)だったのですね。しかし気性が荒く我慢ができない性質の力道山は相撲界を飛び出し、アメリカで大成功しているプロレス興行の道を歩むことになります。必殺技の「空手チョップ」もいきなり出てきたわけではなく、技として完成するまでには極真空手の大山倍達に師事するなど、そこには苦労があったようです。

力道山はレスラーとしてより、実業家として成功していましたが、その粗暴な性格から敵も多く、暴力団員の凶刃によって39歳でこの世を去りました。このことにより日本と韓国(朝鮮)の関係が悪くなったことに気づいた人は少ないのではないでしょうか。

というのは、じつは力道山は朝鮮人だったのです。力道山の本名は百田光浩。1924年11月14日北朝鮮の咸鏡南道に生れています。日本に渡って相撲界に入り、長崎県の百田巳之助氏の養子になったと伝えられています。朝鮮では朝鮮相撲というのがあり、力道山の実兄はこの朝鮮相撲の名手だったとききます。力道山もきっと素質はあったのでしょうね。

朝鮮人でありながら自らの素性を隠し、日本人としてヒーローの道を歩んだ力道山には人知れない悩みがあったに違いありません。レスラーとして活躍する一方で、リキ・エンタープライズという会社を設立し実業界でも大成功し、アメリカンドリームを日本で実現した数少ない人だと思います。

力道山を刺して七年服役した元暴力団組長は今でも毎年力道山の墓参を欠かさないといます。「すれ違いざまに足が当たったかどうかで口論になり、殴られているうちに殺されると思い刺した。」当時の瞬間をそう語る元組長もじつは力道山のファンであったようです。

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