日本では法曹の一元化と並んで国民の司法参加が取り組まれています。その一環として「裁判員制度」がありますが、この制度、平成21年5月までに始まることが決まっています。この裁判員制度というのは陪審制の一種といえるものです。
じつは陪審制というのは過去日本にも存在していました。昭和3年から昭和18年まで刑事裁判では陪審制を取り入れ実際に実施されていましたが、戦争による混乱のため停止されたままになっています。陪審制度の導入に尽力したのは原敬という人物で、この陪審制度に政治生命をかけていた人です。
現在の司法制度は旧態依然としていてそれはそれで良い面もあるのですが、裁判官の非常識(悪い意味ではなく日常が凡人とかけ離れている)が問題となっている昨今、ここらで司法参加制度をを見直そうと言う動きがでてきたのは時代の要求といえるべきものです。
陪審制度を含め、素人を司法に参加させるというのは世界的に見て珍しい事ではなく、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、メキシコ、フランスなどでは既に市民権を得ている制度です。
日本での陪審制度は賛否両論であります。もともと時代劇にみられる様に「正義のお上」に裁かれるのを信条としている日本人ですから、素人に裁かれるということに抵抗がある人種かもしれません。
また「陪審制」とは被告人の有罪・無罪を陪審員の評決によって決める制度です。すなわち多数決です。人の一生を多数決で決めるというのはどうでしょうか。やはり真実を追究するという姿勢が必要であるとはいえないでしょうか。
また冤罪(無実の罪)を防止する効果があるといいますが、逆に感情が絡んで冤罪を増加させる危険もあると無いとはいえません。買収するという行為も考えられることです。いずれにしても、国民が司法に参加するというのはいい事だと思います。どういう形で参加するかは国民全体で考えるべき今後の課題でしょう。