昭和的日本の暗い部分として「ドヤ街」というのがあります。ドヤとは宿(やど)をひっくり返した隠語で、その日暮らしをする日雇い労働者相手の簡易的に宿を提供した街をドヤ街といいます。
日雇い労働者は多く集まるドヤ街には毎朝日雇い求人の手配師がやってきます。仕事があれば日雇い労働者は仕事に就けます。しかし天気が悪かったりすれば仕事はありません。まさにその日暮らし。ドヤ街は日雇い労働者を寄せるので寄せ場ともいわれます。寄せ場は日雇い労働者のハローワークでもあったわけです。
日本でドヤ街といえば、東京の山谷地区、大阪のあいりん地区(釜ヶ崎地区)、横浜の寿町が三大ドヤ街(寄せ場)として有名でした。いずれも昭和の産物として今は名称も変わり、過去のものになったかのようでした。しかし今なおドヤ街は存在するのです。
先日あいりん地区の労働者たちが暴動を起こし警察署を取り囲む事件がありました。飲食店で日雇い労働者と警官がもめたことが事件の発端です。
13日午後5時30分ごろ、大阪市西成区萩之茶屋の大阪府警西成署の前に、あいりん地区の日雇い労働者や「釜ヶ崎地域合同労働組合」のメンバーら約200人が集まり、「西成署の悪行を許すな」などと叫んで騒いだ。(2008年6月14日01時04分読売新聞)
東京の山谷は今でこそ地名自体は無くなっていますが、場所は東京都台東区清川から荒川区南千住までの地域をいいます。このあたりは江戸時代から木賃宿(食事を提供しない素泊まり専門の旅館)が集まっている場所で、現在も簡易宿泊所の施設が多く、日雇い労働者が集まっている地域です。
言問橋から国道464号線を南千住に行くと、泪橋(なみだばし)という交差点があります。そして南千住駅の西には小塚原回向院があります。江戸時代、小塚原には刑場があり、山谷の北側から泪橋を渡って犯罪人が刑場に行ったのです。
泪橋は、罪人にとっては家族や身内との最後の別れの場。刑を受ければ二度と会うことはありません。お互いがこの橋の上で今生の別れを悲しみ、泪を流したことから、この名が付けられたのです。
ちなみに漫画の「あしたのジョー」は荒川区の泪橋の下に丹下段平がジムを構えていたという設定でしたね。