昭和41年(1966年)は丙午の年。丙午は江戸時代の大火災を引き起こした八百屋お七が丙午の生まれということで「男を喰らう」「災害をもたらす」などとして嫌われることとなる。特に女性がこの年に生まれることを忌んだようで、そしてこの年はどういうわけか出生人口が極端に少ない。
日本では昭和40年は1,785(千人)生まれているが、昭和41年は1,386(千人)と約40万人も激減、昭和42年になるとこれが1,726(千人)と回復している。
丙午は例えるなら真夏の猛火。丙は太陽を表し、午は真夏の盛りであるから、何でも焦がし退くことを知らない。十干十二支の組み合わせとしては一番強い組み合わせでもある。
ところで、丙午が真夏の猛火なら、真冬の厳寒の水があってもおかしくないと思うでしょう?まったくそのとおりでして、丙午に対峙するのが壬子(みずのえ・ね)。十干十二支の組み合わせでは丙午と同じ強さを持つ。
昭和47年(1972年)がこの壬子にあたる。この年の出生人口は1,959(千人)と、戦後第2次ベビーブームにあたるため多くなっている。その理由を差し引いても出生人口が少ないという現象は現れていないようだ。
丙午の昭和41年には出生人口が少ないのは、やはり人為的なコントロールがなされたということができると思う。自然界に見えないコントロールの力が働くとしたら昭和47年も出生人口が少なくなってもいいはずだが、そうなってはいない。
受胎をコントロールするのはいいが、この年、妊娠した子までも犠牲になっていないだろうか?舅姑におろせと言われ泣く泣くおろした人がいなかっただろうか?普通なら生まれてきただろう40万人の泣き声が、聞こえてくるような気がしてならない。