京都の伏見稲荷にいらっしゃるお稲荷様、つまりキツネ様は玉と鍵をくわえているそうな。その鍵と玉を由来とするのが、江戸花火師の鍵屋と玉屋。江戸時代享保年間この付近では大飢饉やコレラの流行によって多くの死者を出したことから、その慰霊と悪霊退散を願い「水神様」を祭り「花火」を献上した。両国橋の上流側では「玉屋」が、下流側では「鍵屋」が受け持って競ったことから、花火大会おきまりの「かぎやァ~」「たまやァ~」というかけ声が生まれたという。
鍵屋は1659年に奈良県出身の初代鍵屋弥兵衛が、日本橋横山町で開業し、のちに徳川幕府の煙火(えんか)御用達商となる。玉屋は1810年に鍵屋からのれん分けして始まった。しかし、1843年玉屋は火事をおこし、わずか一代限りで江戸所払いとなる。一方、鍵屋は唯一の江戸の花火屋としてその伝統と歴史を担って現在も操業を続ける。
花火師天野安喜子さんは鍵屋の15代目当主。今年の1月22日に結婚を機に15代を襲名した。14代のお父さんと一緒に今年の夏の夜空を演出する。14代目健在なのに15代を襲名したのはお父さんの意思によるもの。14代目は家業を継ぐときに周りの状況がわからず非常に苦労したそうだ。その苦労を娘にさせまいと自分が現役のうちにいろいろ学んでもらおうとの親心。安喜子さんは3人姉妹の次女だそうだが、小さい頃から父親にあこがれ、一緒について回るなど仲がよかったらしい。鍵屋は代々男子世襲であり、男子がいないときは養子を取ってきた。ここに来て初の女性当主の誕生である。
株式会社宗家花火鍵屋は花火の演出を主とする会社。実際に花火を製造する会社は別の火工会社が受け持つのだが、安喜子さんはちゃんと花火の製造もマスターしている。こと五感に訴える芸術性の高い花火は、実際に肌で感じて作らないとだめだというのは安喜子さんの信念。まさに職人技が生きる世界だ。
14代目の父親は今まで勘に頼っていた点火のタイミングを電気で制御する方法を考案した。その結果、秒単位で点火をコントロールすることが可能になり、今までに無い演出ができるようになった。また安全性にも貢献している。今までの点火では職人がそばまで行って火を投げ入れるため絶えず危険が伴っていた。電気式ではコードを張り巡らすことで100m離れたところからでも操作できる。
安喜子さんは、父親に負けず自分も歴史に残る事を残したいとか。花火は見た目も大事だが、音もまた重要な役割を持っている。ここに着目し、音響をも考えたエンターティメントを展開していきたいとのこと。しかし、先は長いので、今ここで決めることなく自由な発想で花火に打ち込んでいくとのことだ。
大きな花火大会では総数2万発の花火が打ち上げられ、現場では130人もの職人が動く。安喜子さんはヘルメットをかぶり総指揮にあたる。一つ間違えば大事故にもなりかねない花火大会では一瞬の気も抜けないという。
江戸340年の歴史を背負って、さてどんなエンターティメントを披露してくれるか、たのしみたのしみ。