みのもんたである。良くも悪くも有名なタレントである。もと文化放送のアナウンサーである。同時期には落合恵子(作家)、高橋小夜子(現役文化放送アナウンサー)、成田あつ子(故アナウンサー=本を出している)などの人物がおり今尚話題に上る。
実は私は深夜放送世代。高校生の頃、夜は寝ないで一晩中深夜放送を聞き次の日、学校でその内容を友達と確認しあったものだ。というわけで、私は当時のみのもんたについてめちゃくちゃ詳しい。こういう記事はそうそうないですぞ。
当時1970年頃はニッポン放送のオールナイトニッポンが火付けとなり、TBSのパックインミュージックと人気を二分していた。そこに文化放送のセイヤングが殴り込みをかける。当時の人気パーソナリティ(この言葉もその頃生まれたと思う)としては文化放送は(故)土居まさるを投入した。土居まさる氏はその後TVジョッキーなどで人気を博したが、当時は文化放送をしょってたつ人気アナウンサーだったのだ。
土居まさる氏は立教大学出身。同じ立教のみのもんたは、土居氏を追いかけた。かけだしアナウンサーのみのもんたは土居氏をそっくり真似する事で人気を得る。しゃべり方、声質、抑揚などそっくりそのまま。土居氏もセイヤングを担当していたが、みのもんたのセイヤングと土居まさるのセイヤングは素人には見分け(聞き分け)がつかない。曜日を確認して「ああ、今日はみのもんたか」と確認する次第。セイヤングを経てその後は土居氏は軽い口調になり、みのもんたはあのこってりしたしゃべり方で独自の路線を展開するようになる。
みのもんたは文化放送では優秀だった。駆け出しの割には仕事があった。出世欲もあったろう。あのへつらいのうまさは当時からのものだ。セイヤングを当てた頃、結婚話があった。相手は大林組のお偉いさんの令嬢。今の奥さんかどうかはわからない。しかし、みのもんたがこういうコネを逃すはずがない。今の人気の秘密も奥さんのコネと内助の功ではないかと私は確信する。
本名:御法川法男(みのりかわのりお)
出身:東京都世田谷区祖師谷大蔵
生年月日:昭和19年8月22日
出身校 :立教大学 経済学部
趣味:食べ歩き、飲み歩き、スキー、テニス
初めてのレギュラー:文化放送「ゲリラでいこう!」
初めての深夜放送:文化放送セイヤング(水曜24:30から27:00)
と、この原稿を書いていたらなんとみの氏の母堂が亡くなられたとか。
偶然であろうか、奇遇である(合掌)
(つづく)