ちょっと年配の人はミャンマーよりビルマといったほうが通りはいいでしょう。
「ビルマの堅琴
「ビルマ」も「ミャンマー」も英語の「Burma(バーマ)」漢字で「緬甸」ももともとの語源は同じです。ビルマと呼ぶかミャンマーと呼ぶかは政治的な絡みがあります。ビルマと呼ばれていた時代は1948年から1989年までです。それ以降は軍事政権が国家代表となり、ミャンマーと呼ぶようになりました。
しかし、アウンサンスーチーさんはじめ、自由主義が迫害されている現状では軍事国家を認めない国もあり、それらの国ではいまだにビルマと呼んでいます。
【ミャンマーと呼ばない国】
アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア、タイの英字紙、英BBC、ワシントン・ポストなどの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「ビルマ」の呼称を続けています。
【ミャンマーと呼ぶ国】
日本は軍事政権を認め、ミャンマーと呼んでいますが、アウンサンスーチーやNCGUBなど軍事政権の正当性を否定する側も多くあり、日本でも括弧付きで「ビルマ」を使い続ける新聞社なども存在します。
以前ミャンマーの首都であるラングーン(今のヤンゴン)でテロが起こったとき、その犯人は北朝鮮であるということから、ミャンマーと北朝鮮は国交が断絶していました。しかし今回、北朝鮮は歩み寄り、ミャンマーとの国交を回復しました。
ミャンマーは軍事政権であるために、北朝鮮の軍事力に魅力を感じたのでしょう。また北朝鮮も、6カ国協議の約束を守っていない現状で、なんとか味方の国を増やしておきたいというのが心情ではないでしょうか。
ちなみに太平洋戦争の間、ミャンマーは日本の統治でした。中国やベトナム、カンボジア、インドネシアのみならず、こんな遠くのミャンマーまで自国の勢力を伸ばしていたとの勢いには本当に驚くばかりです。日本の軍事力そしてその統率力はすさまじく、今なお各国で日本が軍事国家に傾くのを恐れるのは、こんな過去があったからでしょう。
勢力を伸ばしていた日本も、敗戦になると転がるように逃げだすことになります。その状況はかなり悲惨で、多くの人が日本に帰る途中に死に、あるいは断念して現地に残って逃亡生活を強いられることになった人も数多くいるのです。
日本に命からがら帰還し、事業で成功したI氏はいまなお現地に残った戦友の供養を忘れません。日本にいられるのは彼らのおかげだからです。