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[982]犯罪は環境で起こる

マンションからの投げ落とし犯罪、廃屋での殺害事件、我が子を殺す母親。世の中を震撼させる事件が次々と起こっていますが、マスコミやワイドショーはその犯人がいかに悪いかを追いかけるのみ。「終わり悪けりゃすべて悪」で片付けようとする姿勢が目立ちます。そうではなく、なぜこのような事件が起こったのかを、もっと社会全体で考えなければなりません。

人間というのは個性はあるものの生物学的にいえばすべて同じ人間です。皆さんがアリを見ればアリ、象をみれば象と認識するでしょう。体内に仕組まれている遺伝子は全く同じといっていい。というか、同じだからこそアリはアリ、象は象なわけです。

そういう視点で見た場合、あなたと殺人犯は遺伝子レベルでは同じなのです。言い換えれば、あなたが犯人だったとしても全然おかしくないのです。あなたと犯人の相違点は、育った環境や現在置かれている環境の違いのみでしょう。つまり環境がたまたまそこにいる人間に犯罪を起こさせている、と考えることができるのです。

たとえば、15階のマンションの廊下からなぜ人を投げ落とすことができるようになっているのか?廊下からは安全のため物が落ちないように柵をする方法があったわけです。15階という高層でありながらあのマンションにそういう配慮は無かった。柵があれば事件は起こらなかったかもしれません。柵があれば犯人は犯人にならずとも済んだかも知れないのです。

我が子を殺した母親。生物学的に見れば、我が子への愛情は母親が一番強いことがわかっています。「母は強し」というじゃないですか。その母親が我が子を殺すということは尋常ではありません。しかしありえないことでは無いのです。

以前、マウスブリーダーという魚の話をしました。口の中で子を育てる子煩悩な魚の話ですが、その魚でさえ棲みにくい環境になると我が子を食べてしまい、新たな環境を探して旅をするのです。人間の魚も祖先は同じです。住みにくい環境では子育てを放棄し、新たな環境を探すこともあるのです。

そう考えると我が子を殺した母親は遺伝子の命令どおり動いたと考えることができます。この母親は育った環境が劣悪で、また現在の環境も生活苦の環境です。もし、あなたが同じ環境で育ち、生活苦となったら同じことをする可能性があるということです。明日はわが身と肝に銘じ、犯罪をもっと科学しなければなりません。

オウム真理教事件の松本被告の裁判が終わりに近づいています。その初代弁護士を勤めた「横弁」こと横山氏は余命いくばくもなく肺がんとの闘病生活をおくっています。今、彼が言うことがズシリと心に重たい。

横山氏:「一般の人は、なぜ被告人がこういう事件を企てたか、ほとんど分からない。被告人に言いたいことをどんどん言わせるべきだった。十分に弁論させようという態度が、弁護人たちにはなかったと思います」

2010.02.07追記:
ウィキペデイアによると「2007年8月6日発売の写真週刊誌『FLASH』にて、特集「日本の人権派弁護士」の中で松本の弁護人として紹介され、故人と表記されていた。」とあります。横山さんはお亡くなりになったようです。

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