また昭和の巨星が墜ちました。漫画家の赤塚不二夫さんです。
「おそ松くん」「天才バカボン」などで知られる漫画家の赤塚不二夫(あかつか・ふじお、本名・藤雄=ふじお)さんが2日午後4時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。72歳だった。旧満州(現中国東北部)出身。自宅は東京都新宿区中落合1の3の15。葬儀・告別式などは未定。(産経新聞2008年8月2日)
赤塚不二夫さんの漫画といえば天才バカボンが有名です。しかし私ら50代の人間からすれば、なんといっても「おそ松くん」です。週刊少年サンデーに1962年16号(私は当時8歳)から1967年33号まで連載されていたとのこと。
おそ松くんは同じ顔を持つ六つ子を主人公とした漫画ですが、むしろ脇役であるイヤミやチビ太、デカパン、だよーンおじさんが人気を博していました。そういえば天才バカボンも、主役はバカボンではなく、いつのまにかバカボンのパパになっていましたね。赤塚作品はこういった流れが予測できないところが面白さのひとつなのです。
イヤミといえばシェーというアクションは国民的流行となりました。当時、円谷プロのゴジラ映画でも、ゴジラがシェー(1965年怪獣大戦争にて)をするなど物議をかもしたものです。
またおでんを持ったチビ太。おそらく、当時の小学生、中学生の間では背の小さいしかし可愛らしい級友にチビ太とあだ名をつけ、そして愛情を込めて呼んだことでしょう。ちょっと歯が目立った旧友は間違いなくイヤミと呼ばれていたことでしょう。
赤塚漫画にストーリー性はありません。その場その場のギャグの連発に終始した漫画です。そのため、連載当時の評価は「くだらない」など厳しかったと思いますが、庶民に根付いた漫画としては最右翼でしょう。
今回の訃報ニュースをテレビで見て、奥さんが2年前に既に亡くなっていたという事実を知りました。本人は4年前から意識がないため、それを知らずに亡くなったのです。
この奥さんの肖像を見て、はっとしました。これは天才バカボンのママではないか。天才バカボンのママは漫画には似つかわしくないほど綺麗な人でしたが、これは実際の奥さんを模したものだったのですね。
惜しい人を亡くした、とあえて言うのはやめましょう。本人も言っているように「これでいいのだ」なのでしょうから。