欲しい物があるけど手持ちがなくて買えない。買えないときは我慢するしかない。でもそれが月々たった数千円の出費で手に入るなら・・・と思わせるのがクレジット(分割払い、リボ払い)の戦略である。
融資の窓口に思い詰めたような初老の老人と30過ぎぐらいの男二人連れが来た。窓口に来る融資客のほとんどは銀行にとって「招かれざる客」であることが多い(もちろんまっとうなローンの申し込みもありますが)。もう直感的に「この人達には貸せないな」と思った。あちこちの金融機関で断られたのが顔に出ている。
最初は軽い気持ちで「月数千円なら大丈夫」と買ってしまったが、当然ながらそれでは終わらなかった。独り身の寂しさから、話し相手が欲しさもあって電気店や雑貨、家具…と次々にクレジットで買いまくった。結局積もりに積もった返済額が月間数十万円にまでふくれ、とうとう危ないスジからも借金する羽目になってしまった。借金取りが都会の息子夫婦にまでおしかけるのに時間はかからなかった。
で、この親子が当行の窓口に来たわけである。最初にいったセリフは「お金を貸してください」ではなく「助けてください」だった。普通なら即座にお取り引きいただくところだが、老人が支店の近くに住んでいたことと、老人が自己名義の不動産を所有していたことなどから、いやがる支店長を説得して融資した。
クレジット各社の清算金を、銀行が超長期の低利延べ払いで肩代わりすることにしたが、当然ながら今後一切のクレジットおよび借金の禁止を両人と約束したことはいうまでもない。クレジット会社への清算金振込は数十社にのぼった。少しでも安くしてもらうよう遅延金利や支払利息の免除や減額を1社ごと交渉した。
借金地獄の日々から解放された親子は、何度も礼を述べて晴れ晴れと帰っていった。正直言ってつまんない仕事をしてしまったとは思ったが、人の役に立ったという実感も残った。当時はバブルの最中で、どうしようもない貸出先へ億単位の死に金が投入されているというストレスがあった。それに比べれば1千万円程度のカネで親子が生き返るのなら安いもんだと思った。支店の中からは随分批判されたけど。
数ヶ月してそんな事も忘れかけた頃、街で偶然その老人と出会った。表情は明るかったが、彼を見た僕は凍りついた。
「いやーその節はどうもありがとうございました。おかげで毎晩ぐっすり眠れるようになりました。えっ…これですか?。新しいつきあいも増えてきてね。それで買ったんですよ。随分若返ったと言われますよ。分割払いですけどね。これだけは勘弁してくださいよ。もう何も買わないから。」
彼の頭には一目で新品とわかるカツラがのっかっていた。その後僕はまもなく転勤し、あの親子がどうなったかは知らない。
クレジットは麻薬みたいだ。一回だけならという軽い気持ちが始まりで気づいたときには底なし沼に落ちている。
クリスマスが近づくと始まる某クレジット会社の「手数料(要するに借入利息)半分持ちますキャンペーン」や、身近な人へのプレゼント資金をサラ金で借りる、という図のCMが流れるたびに思う。
「借りた金で買ってもらってどこがうれしいんだよ」
2000.12.17