大正14年(1925年)全日本スキー連盟(SAJ)が設立されました。それに先立つ日本のスキーの歴史は意外に浅く、1911年にオーストリアのレルヒ少佐が高田師団に赴任しスキーの講習会を行なったのが始まりとされています。その影響もあり全日本スキー連盟の教科書(教程)はオーストリア流のものでした。
昭和になってからは各国に冬季オリンピックは白熱してきました。1968年、フランスのグルノーブル冬季オリンピックの記録映画のテーマ音楽「白い恋人たち」あまりにも有名。知らない人でも一度聞けば「ああ、あの曲か」と納得するでしょう。それに続く1972年の札幌冬季オリンピックで日本のスキー熱は一気に高まります。札幌オリンピックのテーマ曲はトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」ですね。トワ・エ・モアは最近また再結成したようですね。
スキー人口はどっと増え、スキーのメーカーも大忙しです。スキー場の整備も急ピッチで進み、日本はスキーブームとなります。団塊の世代がどっとスキーをはじめた事も大きな理由でしょう。
しかし日本のスキーの技術の方向はといえばイマイチ一定せず、フランスが活躍するとフランス流になり、イタリア勢が圧勝するとイタリア流になりました。暗中模索といえばそうなのでしょうが、主体性のない日本のSAJだった事は否めません。そうこうするうちに、やっと日本流のスキー教本ができあがったのは1980年頃だと思います。
そう言えば、札幌オリンピックで日本ジャンプ勢は上位総なめする快挙を遂げましたが、私はそれよりも、吹雪の中で行われた男子スラロームが印象に残っています。吹雪の中ゴーグルもせず帽子もかぶらず、歯を食いしばって回転競技に挑んだ男の名は柏木正義。残念ながら、入賞はしませんでしたが彼の熱情は柏木2世が今まさに引き継いでいます。まもなく世界を舞台に活躍する事でしょう。