第一次世界大戦が遠い国の戦争であったのに比べ、第二次世界大戦は日本にとって当事者であり、良くも悪くも重要な戦争でした。結果は敗戦でしたが、結局はそれでよかったのか、ともいえる52年後の現状ですが、戦争で失った犠牲は忘れてはならないほど大きいものであることに違いはありません。
第二次世界大戦の引金は日本軍による「真珠湾攻撃」だと思っている方も多いと思いますが、実際には1939年にドイツがポーランドを侵攻したことがそもそものきっかけとなっています。
当時のドイツの指導者はご存知アドルフ・ヒトラー。ポーランドは弱小国でありましたが、イギリス、フランスと協定を結んでいました。その関係で、ドイツがポーランドに侵攻したときに、イギリスとフランスはポーランドに味方したのです。
しかし、ヒトラー率いるドイツ軍の強さは一時はヨーロッパ全域を席巻するくらいの勢いがあり、イギリス軍、フランス軍が束になってかかったところで勝ち目は全くありませんでした。
図に乗ったドイツ軍は、独ソ不可侵条約があるのにもかかわらず、ソ連の一部であるウクライナ地方に侵攻したため独ソ戦争が勃発したのです。これが1941年。同年に真珠湾攻撃による対米宣戦で、世界中が戦争の坩堝(るつぼ)となっていったわけです。
第二次世界大戦は、ドイツとイタリア・日本の日独伊三国同盟があり、その他の国は全部敵でした。ソ連とアメリカを相手に長期戦では勝てるわけもなく、1942年にはドイツ軍も壊滅状態。そして三国同盟のイタリアが1943年に降伏、1945年にはドイツ軍も降伏、同年8月には長崎・広島に原爆が投下され日本も降伏、戦争は終結します。
イタリアは早くに降伏したため、そして日本は米国の手厚い擁護に恵まれたため、東西に分断されることはありませんでしたが、ドイツは戦争の代償としてソ連に半分取られてしまいました。私が小学生の頃はドイツには東ドイツと西ドイツがあり、それぞれの首都はベルリンとボン、などと教わったものです。
ベルリンの壁が崩壊したドイツが統一した現在、ドイツの首都がベルリンに戻ったということは、ドイツ国民にとってベルリンは思い入れのあるとても大事な都市なのだと窺い知ることができます。
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