[10]身体は道具
私たちは、日頃当たり前にしていることには注意を払わずに生活しています。朝日が昇ること、夕方日が沈むこと、時間が過ぎること、歩くこと、座ること、当たり前と思っていることに大切なことがあります。
生まれてから死ぬまで、私たちは自分の体を使って生活しなければなりません。しかし、それだけの意識を持って生活している人はあまり多くはありません。では、自分の身体を自分が使う道具として考えてみてはいかがでしょう。出来るだけ使いやすく、便利に使いたいと思うでしょう。これまでのエキササイズは、自分の身体をより自由に便利に使うためのエキササイズです。こんな事が出来るから凄いとか、出来ないからダメだと言うのではなく、自分の身体を使いこなして貰いたいのです。
機能満載の携帯電話を便利に使ってはいますが、機能全てを自由に使いこなしている人は少ないでしょう。それと同じです。身体操作の方法の練習だと考えて貰えばよいのかもしれません。
歳を取ると体の機能は段々と衰えていきますが、巧く使えば使うほど身体の操作法は巧くなっていきます。ただ、その操作法を知らないだけなのです。箱を開けてみて、自分の身体が入っています。でも、使用マニュアルはありません。赤ちゃんの頃から、自分なりの方法で自分の身体の使い方を研究して成長してきました。さて、今までの使い方で、いつまで使えるのでしょうか?皆、死ぬまで元気で生きていたいと思っているのに、そのままの使い方でいいのですか?歳を取って足が悪くなって、まともに歩けなくなる人もいます。生活に困るくらい手が使えなくなる人もいます。歳だから仕方がないのでしょうか?
いいえ!身体はちゃんと使えば、死ぬ直前まで機能すると思います。一人一人が自分の体を使う「匠」なのですから。職人は50、60洟垂れ小僧です。円熟の匠になりたいと思いませんか。
その身体操作法の秘密が、古武道の中に隠されていると考えています。無駄なく、合理的に誰にでもできる方法です。ただ意識して生活の中で、その動きを練習すればよいのです。ある程度その感覚を掴むまでには、時間はかかるかもしれませんが、自分の身体なのですから、いつでも練習できるはずです。
末端の力を使うのではなく、中心からの力を末端につなげて動く方法を少しずつ伝えていきます。動きは力になり自分の身体の外へ出て働きます。その力が正しいかどうかを判断できるのは、それを勉強している人にしか分かりません。そのために、他の人に力を掛けて貰い、その力を排除できるかどうかで判断して貰う方法で進んでいます。
どうか、自分の身体の操作法、掴んでいってみて下さい。
岸 元(きしはじめ)