私はどっちかと言うと、学校の先生と親しくできないほうで、フレンドリーな関係にはなれません。人見知りが激しいせいもあるし、学校が嫌いなので知らず知らずのうちに先生からも距離を置くようになったのです。
小学5、6年のときの担任の先生は、とにかく厳しくて怖い中年の女の先生でした。宿題、教科書など、忘れ物をしたら罰として先生の肩もみ、廊下の雑巾がけを言い渡されました。悪さをした男子生徒を叩いていたところを目撃したこともありました。私は先生に叱られて嫌われることが怖くて、とにかく必死に優等生を演じていました。そのときにはすでに自傷行為は始まっており、手の甲、腕には安全ピンでガリガリと傷つけた痕がありました。
私は小学生のころは小食で、すぐにお腹を下してしまう体質でした。なので給食も毎日必ず残し、片付けのときに残飯入れの容器に残したものを入れることが習慣になっていました。しかし、ある日急に先生が朝の会で、「給食は残さないこと。食べ終わるまで片付けないで食べていなさい。この世界には食べ物を食べたくても食べられない人たちがいるのよ。あなたたちは贅沢よ。」と言いました。私はその瞬間ゾッとして「どうしよう…私食べられない…全部なんて無理だよ…」とビクビクおびえていました。
私はその「給食を残してはいけない」という決まりのせいで、頭痛や胃痛に悩まされるようになりました。そして学校を休む回数も増えました。登校拒否、とまではいきませんが、1週間に1回は休むことが当然になってしまったのです。
朝から胃が痛くなることもあり、母に「休みたい」と言うのですが、「何言ってるの。この前も休んだじゃない。そんなのすぐ治るわよ。早く学校行きなさい。」と冷たくあしらわれてしまうことがしばしばありました。当然学校へ行っても胃痛は治まるどころか、どんどん痛みが増してきます。保健室へ行きましたが、「おトイレ行ってきなさい」の一言でいつも済まされていました。
私の腕は傷だらけ…でも誰一人気づいてくれる人はおらず、安全ピンでの自傷行為は頻度が高まっていったのです。今思うと、「食べ物を食べたくても食べられない人たちがいるのよ」という言葉…。当時12歳の私はそんなこと知っていましたし、第一ここは日本です。飢えている人たちのために私たちはご飯を残さず食べなければならないのだろうか?何か違う気がしました。「食べ物を大事にする」という言葉はわかりますが、飢えている人がいるから私たちは出された食べ物を無理にでも食べなければならないなんて…私は納得できませんでした。
そんな小学校を卒業した私。次回は中学校時代のエピソードを語ろうと思います。
燕 弥子