自殺未遂。私はまた、自殺未遂をしました。それは、1月24日のこと。精神状態が悪く、その日以前から鬱々していました。鬱で学校に行けない自分に腹をたて、悔しく、手首を切っていました。「死にたい」「逝ってしまいたい」そんな言葉ばかりが頭をよぎり、早く死んだ親友に会いたいとも思っていました。
そして24日の朝。鬱で泣き、学校に行けず。「もう死んでしまおう」と思った私は、母が出勤したあと、オクスリを持っているぶんすべてをかき集めました。そのときの私は鬱のどん底で、「死」の一文字しか頭になかったように思います。
私は死ぬ前にお世話になったお友達にお礼を言おうと思い、部活のお友達にメールをしました。「ありがとう、今まで本当ありがとう。みんなのこと、大好きだよ…」と。その直後から、私の携帯は鳴りっぱなしでした。お友達からの電話でした。でも私は出ませんでした。ひたすら、無視をしていました。
私はオクスリを飲み始めました。1粒1粒、水でゴクン、ゴクンと。10錠に満たない頃、寝ていたはずの兄が急に部屋に入ってきました。「母親から電話」と。「もしもし…」と出ると母は「アンタお友達にありがとうってメールしたんだって!?」と少々焦り気味な声で言いました。私が黙っていると、「部活、辞めようと思ったの?」と問いかけてきました。「死のうとした」なんて口が裂けても言えないので「ウン」と嘘をつきました。母は「とりあえず、これから家に帰るからね」と言って電話を切りました。
どうしてお友達にメールしたことが母に伝わったのか、私は不思議でした。後から知ったことですが、メールを見たお友達が職員室にいる私の担任の先生に私からのメールを見せて、先生が「遺書みたいだ」と心配して母に電話をしたようでした。お友達は、半泣き状態だったらしいです。そして母が私に電話をしても出ないので、兄に電話をした、ということでした。
「あーあ、自殺失敗…」と布団に寝転んだ私は、2度目の自殺にも失敗したので他の方法で死のうかとも思いました。飛び降り、首吊り、入水…いろいろな自殺方法を考えて。でも母の心配そうな顔を見て、母の「お母さんは弥子が一番大事なんだよ」という言葉で、「死んだらお母さん、かわいそうだなぁ…」と思いとどまりました。
もしお友達が担任の先生に知らせていなかったら、私は死んでいたことでしょう。あのときの私は本気でしたから…。死んでいたら親友に会えたかもしれません。でも死んでしまったらたくさんの人が悲しみます。たくさんの人が涙を流してくれます。それを思うと、「死んじゃダメなんだ、とりあえず生きよう…」と思えることができました。
生きること。それは私にとって大変なことです。でも、生きてみます。私の命がある限り、生きてみようと思います。
燕 弥子

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