私が鬱病になって気がついたこと。それは生きることがいかに大変か、ということです。鬱病になる前は、毎日自分の心臓が動いていることが当たり前で、毎日元気に学校へ通うことが当たり前でした。「眠い?」なんて高校生特有のセリフを吐いたりしちゃって…休み時間はお友達とお喋りに夢中になって…お昼休みはお弁当をモグモグと食べる。そして終礼すると「部活だー♪」なんて言って元気にテニスコートに向かっていました。それが当たり前の毎日でした。
でも今、私は学校に行くことがとんでもなく苦痛で、毎日泣き、手首を切り、「死にたい」とぼやいています。容赦なく襲う頭痛、吐き気、目眩、倦怠感……。立ち上がればフラフラし、走れば動悸息切れ、人込みに入ると恐怖感に襲われる…。そんな毎日なのです。体育の授業も見学が多く、元来運動が得意な私にとっては屈辱的なことであります。
「どうしてこんな私になっちゃったの?」
「どうして病気は私の元に舞い降りたの?」
「どうして私だけ?」
「どうして?」
「ねぇどうして?」
こんな言葉ばかりが頭をよぎりました。隣にいる女子高生は毎日当たり前のように学校へ通い、笑っている。走っている。私は学校を休みがちで、リストカットをし、少し走れば心臓がドキドキいって・・・・。テニスもできなくなりました。泣きながら見学。こんな毎日。そのうち部活にも行けなくなり、家にこもりがちになりました。
こんなはずじゃなかったのになぁ。私はもっと輝いて、笑っているはずだったのになぁ。どうしてだろう。どうしてだろう。
生まれてきた限り、生きなければならない。死んではいけない。わかってはいるけれど…死んでしまいたくなるのです。天国に逝って親友と再会したくなるのです。
鬱病は、こんな病気なのです。生きることに苦しみ、泣き、毎日を必死に生きる…そんな病気なのです。
読者の皆さん、発行が遅れて申し訳ございません。いつもありがとうございます。
燕 弥子

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