私の母は、私が精神科に通うようになってから変わりました。最初は「頭おかしいんじゃないの!?」と言っていたリストカットも、今は「お母さんが弥子を傷つけたんだよね、ごめんね」と優しい言葉をかけてくれます。以前までは会話も少ない私と母でしたが、母から積極的に話しかけてくれます。
私は、母に大事に思われていないと思っていました。ずっとずっと。だから死んでもいいと思って瀉血やリストカット、オーバードーズを繰り返していました。私自身も自分のことなんかどうでもいいと思っていたし、早く逝ってしまいたいと思っていました。
でも違ったのです。母は少しずつ私の病気を受け入れて、私を大切に思っていてくれたのです。それがわかったのが、平成17年6月9日の日でした。その日、私は自殺未遂をしました。本当に、本当に生きるのが嫌になって、「もう死んじゃおう」と思い抗不安剤、抗精神薬、睡眠導入剤をいっきに飲みほしました。「私なんか誰からも必要とされていない。生きていたって何も面白くない。」私は死後の世界を想像しながら深い眠りにつきました。
私は救急車で病院に運ばれ、応急処置をされました。そして、一命を取り留めました。
この日、私は人生で初めて母を泣かせました。もう二度と、母の泣き顔など見たくありません。。。そのためには私が生きて幸せになって、そして母も幸せにしてあげなきゃと思いました。
今現在母は私のオクスリすべてを管理し、1度も来ようとしなかった病院にも一緒に来てくれるようになりました。そして私の病気は必ず治ると私を励まし、支えてくれます。
母の気持ちを考えると、私はとんでもなく親不幸者です。でもこれから、私が頑張って母を幸せにします。
そして、私も病気を絶対に治します!!
燕 弥子

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