小学生の頃は成績も友人関係も至って普通。元々体が弱いのと、離婚した父の遺伝子で水を飲むだけでも太る体質のお陰で運動は水泳以外は全く得意ではない。性別は女だが、男勝りでよく友人とつるんで悪さをしたりゲームの話で盛り上がっていた。
ああ、そう、あの頃はとても楽しかったなぁ。
今から3年前、わたしは中学に入学した。そして、登校1日目から、苛めにあった。
体が大きい…まぁ自分でも認めているので言いますが「デブ」で、その為に班の役割決めのとき名前の横に「飯食い係」と書かれた。ここで、負けたらきっと長続きだろうから、姉にこうしたら良いと教わっていたので胸倉を掴み上げて文句を言ってやった。その場は先生に止めてもらい、収まったけど、始めて体感する「苛め」に胸の痛みが止まらず、トイレで一人泣いていました。
思い出すだけで吐きたくなるほど、1年の頃は辛い思いをしていました。
…というのを自分で言うのは、高慢でしょうか。自分の傷は自分にしか分からないと言われたので、伝える。けどそれを口にするのは客観的にどう思われるんだろう。晒されたとき「偽鬱(甘えている)」と書かれ、わたしが今まで体験し傷つき、腕を切ったことは全て自分の甘さから生じたものなのだろうか、と思うようになってしまいました。
鬱の方、カッターの方なら共感してくださるだろう。でも、普通に頑張っている人から見れば、わたしは甘えているのでしょうか。わたし自身も「甘えてるよな」というところは分かりますが、自傷を甘えと言われるのは悲しいです。
でもリストカッターやアームカッター、鬱病の人はこれ以上に辛い思いをしているんでしょうね。そう考えたら、やっぱり自分は甘いと思うしかなくなってしまって。
よく言われませんか?「お前達は普通に飯が食えて幸せだ。飯が食えない人達は餓死しているんだからな」無理に美味しいものを乞うたびに言われます。他人と自分の痛み、幸せ、不幸を比べる。
わたしはそれが好きではありません。カッターの人達は世の中にごまんといますが、一人一人が悩みを抱え、泣き苦しみ、傷ついている。それを何故比べるのですか?自分より苦しんでいる人がいるから元気にならなければいけないのですか?
自分自身に向き合うことも大事ですが、まず周りの人もどう見るかというのを考えて欲しいです。それがあったら、助かる人だってきっといるんだと思う。
それは、甘い考えでしょうか。
しろいぬ万呼

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しろいぬ万呼