ネットをしている貴方なら分かるとは思いますが、「履歴」をご存知でしょうか。プラウザメニューのお気に入りの横にあるやつです。押してみてください。何か出て来ましたよね、今日貴方が回ったサイト様が「今日」の履歴に入っています。今ここを貴方が開いているので、ここも貴方が回ったサイトの一つになっています。それが履歴です。
と、これは簡単な例え話なんですが、もし「生活」に履歴があったとしたら、貴方は「今日」の履歴にどれだけのものを残していますか?「学校へ行く事」「遊ぶこと」「友人と話すこと」など、数えて見てください。何個ありましたか?わたしは、今日の履歴が少ないことを気にしています。
毎日、寝て起きてゲームして絵を描いてネットして飯を食べてまた寝て、それしかしていないからです。多分、鬱、引き篭もりの方もそれで悩むところがあると思います。そして、それは仕方がないことでもあります。何かをしようと思ってもすぐに失敗する。そう思い込んでいるから、何も出来ずに一日が終わるのです。わたしのように学校に行っていない、不登校の方も今日の履歴に残す行動はとても少ないと思います。
「それが何?」と思うでしょうが、分かる方には分かる。一日の内の行動が少ないと親家族にレッテルを貼られ、それしかできないことを理解できないので「いつまでも寝てるな」「たまには動け」と言ってくるのです。それに共感できて「それが何?」と思った貴方、履歴は幾つありましたか?
「今日」に残す履歴が少なければ少ないほど、それが毎日続くと人は段々と自分に自信を無くして行きます。「それしかできないんだ」と自分自身にもレッテルを貼ってしまうからです。そうなってしまうとますます今日の履歴が少なくなって行きます。仕舞いには動くことすら嫌になっていきます。それが悪化したのが鬱とも言えますね。
それで、わたしは最近ある方法を思いつきました。小さなことで良いから履歴に何かを残してみよう。絵はいつも描いてる…ゲームもいつもしている…じゃあ何かな、と周りを見渡してみました。母は出かけているのでいない。洗ってない皿を見つけました。「しょーがねーな」と洗って拭いて中に入れて、キッチンの後始末。はい、これで履歴に「皿を洗ったこと」が残されました。
「え、それだけ?」と思うでしょうが、やり終えた後「…あ」と思いました、なんだやればできるじゃん俺みたいな。小さなことでも良いんです、周りになにか見落としてるものはありませんか?それをやって、小さく小さく今日の履歴に残すものを増やして行きましょう。次は洗濯物、たまには部屋の掃除でもしようかな、散歩でもしよう、朝と夜しか寝ない人は気分を変えて窓を開けて、音楽でも聴きながらお昼寝してみましょう。それだけでも貴方が今日「生きている」という実感を持つための履歴に数個の行動を入れることができるんです。
親に褒められる為に皿を洗うのではありません。「ありがとう」の言葉が欲しいから洗濯物をたたむのではありません。貴方は貴方の為に行動をし、それを履歴に残すのです。
どんなことであろうと、「まずはワンステップから」。わたしがよく後輩に言います。絵を描くにしても、基本であるデッサンがなってないとスランプ(絵が思うように描けない、描きたくなくなるという絵描きの病気みたいなもの)にもならないし、デッサンを磨くほど出来上がるものが増えていく。これでは履歴がデッサンで、中身が作品な訳です。最初の内は全体を見ることはせず、一つ一つ、それでも確実にこなしていけば自分ができること=履歴に多くの行動が記録されて行くのです。
ただ、無理に行動を起こす必要はありません。一日に一回だけでも良いんです。無理にしてしまうと体に毒の場合もありますから、自分に気を配りながら何かを見つけることが大事です。慣れてきたら工夫もしてみましょう。
マイペースで良いのです。親がもし「もっとこうしろ」などと言って来てもそれに従う必要はありません。親の為ではなく、わたしはわたしの為に、貴方は貴方の為に生きているのですから。ゆっくりと、履歴に刻んでゆきましょう。
長い文を読んで下さって有難う御座います。次号はわたしの話で、最初に受けた苛めの事について話したいと思います。
しろいぬ万呼