家族以外の人の前で2度目に流した涙は苛めを知った辛さ。中1、14歳の私。
結局、その場で号泣した私は先生に言われドアのカギを開け、誰も居ない1階を通って職員室で昼飯をとった。手は付けなかった。最強だと思っていた自分が最弱になった瞬間と、偉大だと思っていた自分を馬鹿にされて何も言い返せず泣く事しかできないという本当の自分の顔が情けなく、頭が回らなかった。
入学して初めて来た職員室。小学生の時、毎日元気に「おはよーごぜえます!」と職員室のドアを蹴り上げて先生たちに慕われた私だった。今はこんな情けない姿。保健室の先生の机の横にある、生徒用の机に突っ伏して顔を隠して、やっと止まった涙の残りを手で拭きながら寝た振りをしていた。
当時の私の日記にこう書かれてある。「突っ伏していて顔は見えなかったが「あれは–かな…?」と呟いている友人、そして姉の声が聞こえた気がした。友人は先生が応答して教室に帰してくれた。姉は忙しく動いて気付く事無く先生たちと話していた。俺には好都合」
昼休み、掃除の時間が過ぎ、5時間目に入る頃に担当している授業が休みのきのっちが私を呼んだ。軽く眠ろうとしていたので目を開けて身体を起こした。
「お前の名前を書いた奴はちゃんと叱っておいた。」と、個室に班の全員を呼び出してその内の3人の男子に私に頭を下げさせた。日記には「何やらクドイことを言われたけども内容が嘘っぱちにも程があるのではないか。面倒臭くて内容は忘れた」と書かれてある。こういう場面で悪い側が言う謝りは只のその場しのぎでしかないこと、誰にでも分かることだ。
そして、班の中の女子、私を覗いた残りの2人は「同じ班なのにただ黙って見ていて御免なさい」と謝ってきた。一方は(仮名として)山ちゃん、もう一方は友ちゃん。どちらも1年中盤に私と同じく体育部を辞め美術部に入部した友人である。
山ちゃんは特殊な家系の生まれで(体術に優れた家系で幼い頃から修行にあけ暮れた、と聞いている。一度手合わせしてみたが確かに強く、嘘ではない)、私たちとは違う育ちの所為か少々どこか欠けているような少女だった。他人の意見をあまり尊重することができず、悪い意味では少し自己中心だった。それでも根が悪いわけではなくそれも天然なので、同じ部の仲間として話はしていた。
友ちゃんは話す言葉も声も小さく、教室に居ても余り目立たない派の子だった。絵を描くのは好きで(お世辞にも特に上手いという訳でもないが)よく私にデッサンの質問をしていてくれた。話すのはそれくらいで、特に群れようとはしない子だがいつの間にか話の輪に加わっている、そんな子だった。
「謝りたい」と申し出たのは多分山ちゃんのほうだろう。友ちゃんは山ちゃんの言葉の後に続くだけでその顔に他意は無い様子だった。山ちゃんは私の手を握って「何かあったら相談して、助け合っていこうね」とまあそれらしい言葉をかけた。
日記には「うぜえ」としか書いてなかったので、今も昔もこういう系の人種には苦手な反応を返すことしか出来なかったと思う。正直、私はこの二人を友人だとは思うが心の底では見下して笑っていたのだ。この頃から人の顔色や行動で内面の考えが読めるようになってきた。
しろいぬ万呼

しろいぬ万呼

Share
Published by
しろいぬ万呼