自分で書いた文章を見ていて、なんて下手くそなんだろうってため息が出ました。せっかく読んで下さっている皆様に申し訳なくて、反省しています。これからは読んで下さっている皆様が、読んで良かったって言っていただけるような文章を書くことが出来るように、頑張ってもっといろんな方の本を読んで勉強しなければならない、と思いました。
題名の通り、少しだけど私の周りで変化がありました。いつものように母と一応の会話をしていた冬休みの事です。私と母だけの会話というのは心が無い会話で、『上っ面』という言葉が似合うような会話しかしていませんでした。こういう冷たい会話になったのは、私がリストカットをしているという事が母にバレてしまった高校1年生の時からです。
初めてリストカットを見た母が私の事をどう思ったのかは、母にしかわかりません。でも、正直に言うと、私が精神面での病気になった事を、母は理解してはいても、自分の娘がそうなったという事が母親として嫌だったということを話してくれました。こういう話をしたのは、たぶん、生まれて初めてだったと思います。
実は、この話をする直前、父親の病気の事を母が泣きながら話してくれました。父には胃潰瘍だと伝えていますが、本当は末期の胃癌で、医者も手の施しようが無いということでした。これを聞いたのは、私の誕生日の日でした。余命6ヶ月だと言われて、母は母の実家に話をしたそうです。
母方の祖父は父の事を心配してくれたのかはわかりませんが、母の話を聞く限り、祖父は父のことなど心配すらしていないようです。このことも、たぶん母にとっては悲しい事だったと思います。私に父の事を話すとき、泣いてました。私がいじめにあって不登校になった時に学校に私が行かないからとキレて怒り泣きしていた母とは打って変わって、本当に悲しいという目をしていました。
父の話をきいて、私も泣きました。でも、父は短くても長くても、ちゃんと生きようとしているからと私は思いました。だから、父が亡くなるまでは、楽しい思い出を作りたいと思いました。躁思ったら、急に悲しいけれど、涙は止まりました。
その日、父の話の流れで、どういったわけかはわかりませんが、私の病気の話になり、自殺未遂をした事や、今でも私は死ぬことだけを考えていると話しました。母にとっては私の話は余計に母を苦しめたと思います。こんなときにこんな自分の話をする私も最低だと思いました。でも、この日は私にとって少しだけ変化を与えてくれました。この日、もし父が亡くなって家が大変になるのなら、大学を辞めると伝えました。
少しだけど、母に対しての怒りや憤りが、私の中で少しだけ優しさに似た気持ちに変わりました。
桐谷梨紗