「生きる」ってこんなに大変なことだったっけ?
浴槽に溜まった湯につかると痛む手首、腕、太ももの傷を見てわたしは小さく溜息を付いた。
もしタイムスリップというものがこの世にあったとして、それを使って来た昔のわたしが今のわたしを見たらなんて思うだろう。きっと「そんな」「俺がこれ?」「ありえない」と自分自身の目を疑うだろう。まさか自分がするとは夢にも思っていなかった。リストカット、アームカットというものは…。
保育園の頃からゲームをすることと、絵を描くことが好きだった。わたしには姉がいて、わたしが上手く絵を描くとずっと褒めてくれたから、それが嬉しくてずっと描いていた。今も趣味として、絵を描きそれを飾るサイトを持ち好きに描いている。わたしが「今日」という履歴に残す数少ない行動の一つだ。
そう、「今日」に履歴があったとしたらわたしが残しているものは数個だろう。中学3年の2学期はじめ、ある事をきっかけに不登校になり、成績表の悪さで高校も行けず卒業した今、この歳ではどこのバイトも雇ってもらえない。わたしは何もできないまま、今日を終えていた。
生きることはこんなにつまらなかったか。誰にも目を向けてもらえない。それはまるで「死んでも良いよ」と言われているような気がして。
小さい頃はよく命の尊さを聴かされていた。今のわたしには、命なんて小さなマッチに付いた火のようにしか思えない。
わたしが傷ついたら、オカシクなったら、死んだら、皆わたしに目を向けてくれるかな?気付いてくれるかな?わたしは体に傷跡を残すほど、心に深い傷を負っている。だけど、誰も気付いてくれない。わたしが口にしないと気付いてくれない。
わたしの命も、みんなの命も。とても、薄い炎に見えるんだ。
16の年でバイトもしていない、仕事などできるわけが無い。せめて、何か手伝えないかとサイトで絵の仕事の依頼を募集すればあるサイトで「この画力で仕事依頼?」と晒された。わたしの持つたった一つの特技を貶され、中卒の事も言われ。誰かに気付いて欲しくて書き殴っていたメンタルメモについても、「これは痛い」と言われて。現実も、ネットの世界も、居心地が悪い。わたしの居場所は、どこにあるんだろう。
しろいぬ万呼

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