ふと辺りを見渡せば、雪崩を打つように冬がせまりくる季節だった。ある者は冬眠にはいり、べつの者は厳しい季節のまえぶれに背筋を凍らせる。
男の時代は、ここに至って終焉したのだろうか。終わったような気がしないでもない。将来的にも、このサイドには希望の光が差しこむような予感すらない。
それは、男女の特徴をみれば分かる。生物としての男は、身体的に腕力の強さを選択した生き物だった。男が、身体的な強さによってイニシアティブをとろうとする戦略は、確かに成功した。これまでの人の歴史のおおくが、男社会によって刻まれてきたのをみても、この戦略の見事が裏づけられる。
それに反して、女は身体的な美しさを身につけた。これは、強くなった男に気に入られるための順応性といってよい。哺乳類によくみられる形だ。
人に限ることなく、美しさを獲得したものの立場が、どのようであったかを見てほしい。鳥であれ魚であれ、美しいサイドはほとんどが弱い立場にある。相手に気に入られるための、てっとりばやい方法が美しさにあるためだ。それでは、日本をはじめ先進国の、男女の力関係はどのように変化してきただろうか。かつては、まちがいなく男尊女卑だった。が、今はどうだろう?
消費にしても、社会的な視点においても、女が主体に置かれている。女の側からとらえられている。金を持っているのは女であり、心理的にも女が理解される、女の特権の時代がきている。なぜ?
男が特権をにぎれたのは、ひとえにその腕力や武力というものが効力を発揮していた時代である。このような力は、先進国の人々には無用となりつつある。今後も、そのような力が復活することを誰も望んでいない。もし復活するならば、地球そのものが破壊されてしまうだろう。
確かに、これらの力は今でも無言のプレッシャーをあたえている。あるいは、肉体労働では役に立つが、それもたいして重要な能力ではなくなった。逆に力を増したのは、美しさを中心とした魅力である。女が培ってきた美しさが、一気に花ひらく時代となった。
男女のもうひとつの特徴をあげれば、男は不安定であり、女は安定ということになる。遺伝子をみると、男女で性染色体が異なり、男はXYと別のものが対となるが、女はXXでおなじものが対となる。当然、おなじものの方が安定感がある。
歴史的にみても、動乱期や不安定な時代には男が活躍し、平和や安定期には女が活躍してきたはずだ。これらは、肉体的な特徴をそのまま表わしている。
腕力の時代は、すでに過ぎさった。男は今後、どのような戦略を持つつもりだろうか。美しさと安定感をもつ女に、どう対抗できるのか。
一つのサイドに対抗できるだけのものがなければ、必然としてその種そのものが地盤沈下する。が、一方の存在意義が薄れている。残念ながら、一方は過去のものにみえる。転換期にたつこのサイドは、どこへ向かえばよいというのか。
椎名蘭太郎