[45]能力主義

 15年程前までは、まだ年功序列や終身雇用が有効に働いていた。それがバブルの崩壊や金融ビックバーンなどを経て、様々な分野で規制緩和がすすめられてきた。
 時代はあきらかに変わった。今や能力主義の時代が到来している。そこには老若男女は関係ない。必要とされる人、高く評価される人が求められる。
 バブル以前は、女や若い男が高収入を得ることは特殊なケースであった。それが今では、若者だろうが女だろうが、誰でも富を得ることができる。今後も、ますます能力主義は浸透していくだろう。
 けれど、人々の意識というものはどうしても遅れるものだ。すでに実態は、老若男女を問わず、求められる人が厚遇される。 にもかかわらず、建前ではやはり男が金を稼ぎ、中高年になるにつれ収入が増えるものと認知されている。
 人々の意識はどうしても現実に遅れてからでないと対応できない。過去の習慣を引きずってしまうのだ。 ただしこれも、現実を目の当たりにするにつれ徐々に変わっていくだろう。現実は、どうあっても現実なのだ。そして、それこそが今後の社会の偽りない姿というものでもある。
 男女の能力に差があるとは思えない。いや、男が得意とする分野があれば、女が得意とする分野があるだろう。総体的にみれば、男女は変わらない。また年齢でいえば、能力主義のなかではむしろ若者のほうが優位な点がおおいぐらいだ。
 就業において、いまだに女が差別されているという者がいる。実際、政治・経済の分野において上位を占めているのは男である。女の力が社会的な影響力をにぎっているにもかかわらず、政治・経済の上位には男がおおいのだ。
 ここにはカラクリがある。女は、おおくの分野で本当に成功を得ようとしている者がそれほど多くはないのだ。彼女達は、結婚などによって仕事を辞めることを前提にしている。実際、辞めるケースも少なくないだろう。苦労をしてまで成功を勝ちえたくはないのだ。 であれば、どうしてその分野で上位にいける? また、企業側もどうして当てにならない者を本気で扱うことができる?
 就業における女性差別の問題は、実際は女の意識の問題だといっていい。女が男と同じように働く意志があるなら、就業上にのこる構造的な問題はほぼ解決するとみていい。なぜなら、女性差別といわれるもののほとんどが男女の人数に起因している。その分野に男が多いなら、多数派が男であり、男の意見が通りやすいのはむしろ自然な姿である。
 女が本気で仕事をつづける気なら、おおくの分野の上位に女が一気に進出するだろう。社会的な影響力はもはや女のほうが勝っている。女を止めるものは何もないだろう。
 我々の生きている社会はすでに能力主義の世界である。男女だ! 年齢だ! と言ってみせたところで、社会そのものが能力を求め、それを止める手だてはない。 そして少なくとも、それは以前の年功序列や終身雇用の時代より自由度が増している。熟練度が増した社会といえる。
 すでに能力主義の時代になっているが、まだ人々の意識には老若男女のしがらみがまとわりついている。ただし、あと十年もすれば現実を認めざるを得なくなるだろう。
椎名蘭太郎

[44]二つの道

今後の男女において、イニシアティブを握るのはおそらく女であろう。
 女は今、二つの道のいずれかを選択することができる。「自立の道か」はたまた「男に依存する道か」のいずれかである。
 日本の女は、社会的に成功した男――つまり地位や年収のたかい者を獲得することに主眼が置かれている。これは今にはじまったことではないが、また今ほどその傾向が顕著になったこともない。
 ただし、これには最初から無理がある。
 成功した男はほんの一握りしかいない。とすれば、これらの男を獲得できるのも同数しかいないことになる。
 すると、どうだろう? 大多数の女もまたとり残される。社会的に成功しえなかった男との結婚も妥協せざるをえなくなるだろう。
 しかし、まだこれだけでは終わらない。
 男に理想を求めすぎた女は、現実と理想のギャップに日々の生活で夫に不満を感じるようになる。夫との不仲や離婚の原因に、妻が夫に過度の期待を寄せ過ぎている――というのはよくある話しだ。 過度の期待をよせられた夫も不幸だが、期待を寄せ過ぎた女も決して幸せにはなれないものだ。
 ここで女には一つの道がしめされる。
 成功は、結局は自分のちからで獲得するしかない――というものである。実際にヨーロッパの多くの国では、女は男に過度の期待を抱かなくなっている。これは、成功を望むなら自分が自立することによって獲得するしかない――ということを指している。
「自立などしなくていい」「これまで通りでいい」――といった女も決して少なくないはずだ。苦労をしてまで成功など欲しくない――といったタイプだ。
 この場合、これまでどおり、生活のあらゆる面で男に守られながら生きることになる。
 ただし、ここにも問題がないわけでない。
 誰かに守られるためには、言い換えれば報酬を得るためには、それに見合ったお返しをしなければならない。
 あなたはその部分で感謝をし、少なくとも彼らを立てなければその契約は持続的な成立をみない。それは、従来までの自然な関係でもあった。
 大切にされたから、その人を大切にしようとする。守りたい人が尽くしてくれるから、どんなことをしてでも守ろうとする。これがいくら守っても、感謝することも敬意もなくふてぶてしくしていたらどうするね? 本当に、そんな人を守りたいと思えるかね?
 最近は、家事をする妻への感謝だけがとりあげられ、夫が仕事をするのは当然とみなされている。ただ、心の領域はじつに単純な支え合いによってできている。
今の女は、男に求めすぎ、一方通行になっている。それぞれの役割にたいするおもいやりがなく、一方通行では両者とも不幸になるのは避けられない。バランスが崩れているのだ。
どちらにせよ、女は選択のときを迎えている。あなたの前には二つの道が静かにたたずんでいる。十年後には、もはや選択の余地はなくなっているかもしれないが、少なくとも今は選択することができる。
椎名蘭太郎