[42]踏み台

 男女をかえりみれば、女はスタンダードで、男はノンスタンダードとなる。見方をかえれば、女は基本となり、男は挑戦となる。
 ひとつの円を頭に描いてみるといい。その均等な円のなかに、女はほぼ収まるが、男の場合は円の上下や左右にずれ、収まらない者がおおい。
 なぜなら男とは、挑戦のタイプであるためだ。男に天才が生まれれば、愚者が生まれたりするのは、ひとえに彼らが挑戦のタイプであることによる。
 子供を産む女が基本であるのに対し、足かせのない男は挑戦ができる。その挑戦の成果を子供に還元することで、遺伝子としての、あるいは人としての進化をなすカラクリがそこにある。
 そこで、男は知っておくといい。
 もしあなたが中心からおおきくはなれ、辺境であえぐようなことがあったら、ぜひとも中心にもどってほしい。人は常に辺境でくるしみ、「初心に返る」ことに気づく生き物だからね。
 子供のころは、なんと無邪気で、なんの考えも持ち合わせていなかったものかと思いを馳せながらね。
 じつに、男は挑戦するタイプであるがゆえに様々なタイプがいるよ。彼らの場合、ひとつの男というカテゴリーではまとめにくい。
 優れた者もいるだろうが、最下層もまた彼らとなる。円のなかに女たちが固まれば、その円の周囲には男たちが散らばっていく。
 我々は、そのことにほとんど触れやしないが、どんな時代のどのような社会でも底辺にいたのは挑戦に敗れた男たちだった。
その構図は今でも変わらない。
 にもかかわらず、我々はこの社会でもっとも底辺にいる彼らに光を当てたことは一度もなかった。彼らが男であり、醜くあり、変わっていたためだ。
 彼らなど、まるでそもそも存在していなかったように抹殺してきた。
人は、彼らを踏み台にしてここまできた。今も、彼らを踏み台にしている。
 確かに彼らは挑戦に失敗しただろう。変わってもいるだろう。
だが、そもそも挑戦には成功と失敗がつきものだよ。失敗がなければ成功などありえなかった。彼らの栄養分をとり、人類が成長してきた歴史を忘れてはならない。
椎名蘭太郎