あなたがたは闘っている。途方もなく闘っている。
男とは闘うものだと人はいう。男は、そうやってこれまでもずっと闘いつづけてきた。
女をめぐっては争い、仕事では競い合ってきた。
あげくの果てに男はいう。血まみれになっていう。
「俺は上にいきたいんだ」と。
あなたがたは数字を上げなければならない。
収入を上げなければならない。
成績を上げなければならない。
いつも、性急に結果が求められる。
どんなときも、仕事のことが頭から離れなくなる。
もし、逃げたりしたものならあなたは思うだろう。
「逃げるな! 意気地なしめ!」ってね。
あなたはいつも血を流している。体中、血まみれになっている。
成果を、数字を上げるために、心も体も悲鳴をあげている。
それでいて、苦しむことが財産だという。
どうしてそう思う? どうして苦しむことが財産だと?
あなたがたは自らのポテンシャルを、才能を殺しているよ。
あなたが賢者なら、どうして結果を残そうとする心が、急かされる心が、財産などといえる? どうしてそんなことが――。
あなたは自らのポテンシャルを削ぎ、体を壊しながら仕事をしているんだよ。苦しむエネルギーが、急かされるエネルギーが、着実にポテンシャルを削いでいる。
苦しみ、金を得ることが財産などではないよ。苦しむことによってどうなるか、それを理解することが財産なんだ。
自らの才能を殺しながら、一時的に数字と結果をのこして、それでどうするつもり? それが、あなたを破壊しているんだよ。
賢明な人なら、そんなことはしないよ。彼らは、ポテンシャルを上げることこそ、早道だということを知っている。この道だと、日に日に才能が開花するからね。
はじめこそ、急かされた心のほうが早いだろう。だが、やがて着実に追い抜いていくよ。なにより、こちらのほうが楽しいに決まっている。
リラックス、充実、穏やかさの実りがそこにはある。
楽しむこと、好きなことをすること、心のままに在ることが最速だよ。おもうがままに揺られてね。
でも、きっとあなたは相変わらずいうよ。血まみれとなっていうよ。
「負けるもんか! 逃げるもんか!」ってね。
それで?
それでどうなるの?
勝つも負けるも、闘うも逃げるも、結局はシーソーのおなじ糸に結ばれているよ。闘うことが良くて、逃げることが悪いなどとどうしていえる? 闘うことがいいなら、逃げることだっていいだろうに・・・。
闘うことがどうしても好きなら、無理に止めはしないよ。もちろん、闘うことも大切だからね。
それにしてもあなたは血を流しているよ。今もずっと、とりとめなくね。血を流しながら、リラックスを求め、癒されようとしているんだから世話がないよ。
だって、不可能だよ(笑)。
それより、まずは血を止めたらどう?
ポテンシャルを上げる道をえらんだら?
椎名蘭太郎
[25]三つの力
あなたは男であるか、女であるかに生まれてきた。いいかえれば、男性ホルモンをおおくだす体か、女性ホルモンをおおくだす体か、ということになる。
でも、果たしてそれだけかね? もしそれだけなら、60兆個の生きた細胞の塊があなたということになってしまうよ。
でも、あなたは言うよね。人はずっと言ってきたよね。
人間には心があるって。精神があるって。
確かに、それは見逃せない力だよ。
だって、あなたは男の概念によって実に男らしくなったんだし、女の概念によって徐々に女らしくなってきたんだもの。
つまり、心でも男女に隔たったというわけだ。
我々は、身心ともに男女となった。肉体の援助をうけながら、あなたは心まで男女に移行した。
では、心とはいったい何なのだろうね? その正体をどのように捉えることができる?
脳が心をつくったとおもう?
どう?
あるいは脳とは異なる、独立した心があり、心が脳に命令していることだってありえるよ? 心そのものが一つの生物だとしたら?
可能性は常にひろがっているよ。心は、概念によって築きあげられた、記憶の残像といっていいものかもしれないよ。
どちらにせよ、我々は、身心の共同作業で成っているよ。
あなたが男なら、女の裸をみれば興奮するだろう。それは、あなたの概念と生理現象によって成立している。
時間が経てば腹が減るのとおなじ生理現象と、あなたのなかで培われてきたこれまでの概念とがね。
でも、それだけかね? 本当に、体と心だけがあなたの正体かね?
もう一つ大切なものを忘れていないかね? もっとも重要な、あなたそのものというべきものをだよ。
この頃は、エネルギーやらオーラを見る人が流行っているね。
彼らはどこを見ていると思う? どこの部分を?
彼らは、心の領域を見ているんだよ。エネルギーをね。
それは確かに、あなたを深く見つめることができる。心のどの領域まで見ることができるか、それは見る側のレベルにもよるがね。
ただし、どんなに優れていようと、それはあなたまでは達しない。
目は、人の体を見ることができる。エネルギーを捉える者は、心まで見ることができる。けれど、あなたそのものは決して見ることができない。
だって、あたりまえだよ。
意識は無限なんだよ。そこに形などありやしないんだから。
どうして形無きものを見ることができる?
どうやったら無いものを見ることが?
ありえないよ(笑)。
私たちには三つの力がある。体と心と、意識のね。
心と意識はおなじと思うかもしれないが、この違いをしっかり見破るべきだろうね。
どちらにせよ、三つの力が三位一体となってあなたをつくっているよ。
これら三つの力は、実際は一つ一つが生き物といっていいよ。それぞれが、それぞれに生きている。それらの力が合わさってこそ、よりよきあなたが形成される、という見方もできるだろう。
どう?
こう考えた方が実に自然にかんじない?
なにより、おもしろみがあるとおもえない?
椎名蘭太郎