[25]結婚願望を再分析!

実りがないというよりも、実らせる気概が感じられないまま、私のオーネットでの活動は、書類上、あるいはオンライン上で過ぎていった。
※オーネットの活動は、すべての情報のやりとりを郵便で行うメール会員と、すべてではないが、一部の手続等をパソコンのオンラインで行えるネット会員の二通りある。改めて考えてみると、私は本当に結婚を望んでいるのだろうか、という疑念が生まれる。
私は自分で自分を恋愛暴走型だと自認していた。いつもどこかに出逢いが転がっており、恋に落ちやすく、のめり込みやすい。心と身体と言葉を駆使して熱烈な愛を育むことをモットーとし、実際に経験した恋愛はかなり“濃い”つき合いだったと思うし、結婚は大恋愛の末、周囲の反対を押し切っての強行であった。
ここだけの話、結婚に失敗したのは1度ではない。2度である。結果的に離婚したのだから、いわば恋に盲目になるタイプなのだ。それでいて男性に振り回されたり依存することをよしとせず、『仕事』『遊興』『恋愛』の3つを機軸にバランスよく暮らしを循環。仕事に没頭し、遊びでストレスを発散し、恋愛で鋭気を養う(?!)という具合だ。
ところが今は、人が変わったかと思うくらい、腰が重く、火がつかない。もっとも、年齢的に異性からのアプローチが激減していることもあるのだろうが、それはひとえに子どもがいることに起因するのではないかと思う。
ストーカー男を恐れたのも幼子がいるからにほかならない。私一人なら、警察に相談して決着をつけるなどという穏便な処置では済まさず、反撃や復讐をしてやってもよかったのだ。そうしなかったのは、復讐の復讐を恐れたからだ。
ともかく、元来結婚には不向きと思われる性分に加え、子どもが生まれたとき、私はすべての価値観が変わってしまったのではないかと思うのだ。ところで、オーネットのプロフィールでは、離婚の年月を記載するのみで、離婚回数を記載する欄はないので、相手の離婚回数に多少こだわりのある方はご注意を。
本城愛子

[16]男女兼備

男女のかたちは、今後どうなると思うね?
今と変わらないかね?
きっと、そうではないと思うよ。そのようなことは、これまでに一度もなかったんだから。男女のかたちが固まるなど、どうしてありえよう?
今後の人々は、男女兼備となるよ。男女が肉体的には変わらなかったとしても、中身は男女両方を求めるようになるね。
これは、想像でも予想でもないよ。そうならざるをえないんだよ。環境がそうさせるんだもの。
かつての人々は、環境によって男女の役割を発明してきた。それが、男女のらしさ――ということになった。でも、決して一人が男女を演じようとはしなかった。
なぜ?
そこに理由などあるかね?
そうじゃないよ。簡単なことだよ。それだけの余裕がなかったんだ。
他人を援助したり動物を愛護したりすることが、この頃の流行となっているね。でも、どうやったら昔の人にそんなことができる?
今日、生きることしか考えられなかった時代に、犬に服をきせ、募金活動ができると思う?
かつての男女に役割ができたのは、冗談でやっていたことではなかったんだよ。それが生きぬく術だったんだから。
そして、時は流れていった。あなたがたは充分なゆとりを持った。きびしい時代とはちがう、今のゆとりの時代を――。
人々は、男女兼備にならざるをえないよ。
やさしいが弱い人間が、強くなりたいと思うことに問題があるかね?
それとも、強いが自分勝手な人間が、おもいやりを持ちたいと思ってはいけないのかね?
かつて男は強く、女は美しくあらねばならなかった。男が美しく、女が強ければ人々から爪弾きにされた。
どうかね?
昔は、半円で生きることしか許されず、むしろ半円で生きることのほうが効率的で賢い生きかただった。
でも、変わったんだ。状況は、おおきく変わった。
あなたがたには余裕がある。円になれるだけの環境がととのいつつある。
偶然、環境がととのったのでなく、あなたがたの意識レベルがそれに耐えられるだけの能力をもったということさ。
となれば、誰にいわれるでもなく、いずれ円を目指すだろう。円のほうが可能性があり、才能を発揮できる。なにより、男女兼備のほうが魅力的に決まっている。色に七色あれば、七つとも備えていたほうが人は魅力を感じるものだからね。
どちらにせよ、そこには人の思惑など及ばない働きというものがある。男女それぞれへの思いがいかにあろうともね・・・。そして自然沙汰のちからは、環境に適したものを冷徹に選択しつづける。
となれば、ちかい将来は決まったようなものだろう。
椎名蘭太郎