[08]信用度アップ計画

立て替えたお金が返ってきたことで、私の男に対しての信用度が上がっていったことを男は悟っていた。というより男は私の信用を得る為に、私にお金を立て替えさせ直ぐに返すという行動を計画的にやってのけたと言う方が正しい表現であろう。当時の私がその事に気付くことが出来なかっただけなのだ。
男の思惑通りに、彼を信用し始めていた私はその日からというもの、男の頼みをある程度受け入れるようになっていた。スーツを買いに行くからとつき合わされた時は、手持ち現金がないからと代金を支払った。某衛星放送の支払期日までに手持ちがないからと代金を支払った。その他にも何かにつけて私に代金の支払いを頼むようになっていた。
なぜこんなにも頻繁に頼まれ事を受け入れる様になったのか。それには理由がある。少し前に、店が忙しくて仕事に疲れ果ててきた私が「店やめたいんです」と男に申し出た。しかし男は「今夢乃に止められては困る。」と言い私を引き止める為にその日から送迎をしてくれるようになった。相変わらず子供をかわいがってくれたり、ご飯をご馳走してくれたり、飲みにも誘ってくれた。常に子供と私のことを気にかけてくれていた男。そこまでお世話になっている、しかも店の経営者の頼み。断ることなどできる筈もなかった。
さらに男は私が断ることが出来なくなるようなひと押しを必ずと言う程やってのける。男の極めつけのひと言「直ぐに返すから。」である。別に極めつけのひと言でもないんじゃない?簡単に断れるでしょう。と思われる方もいるかもしれません。でも、体験したことのある方ならきっと分かってくれる筈です。「直ぐに返すから。」というひと言の威力を。そして、その言葉のみを信じ「経営者だもの、きっと返してくれる…」と自分を納得させ頼まれごとを受け入れる日々が暫く続いたのである。
さて、ここまでの話の中で立て替えたそのお金は返されたのかどうかが気になるところだと思うが、その殆どがおおよそ1週間程度で返されていたのだ。そして、「この人は貸してもちゃんと返してくれる人だ」という事が私の中で定着していくことになった。
早乙女夢乃

[03]男女の枠

 人には、男女という枠が毅然としてあり、それぞれを別けたがる。そしてそれは、当然の主張である。その一方で、人はうすうす感じとっている。感じとっているのだが、人はあまりそのことを言いたがらない。ならば、ここではっきり言ってあげよう。
 男女の肉体は違えど、その中身には違いがない。同じようなものである。ここまでは、本当は誰しもが知っている。では、この際だから、考え方を逆転してみてはどうだろうか?
 男女という枠がしっかりあり、両者は異なると教えられた一方、所詮、男女は変わらないとどこか感じているのがこれまでだった。これを、男女の中身は変わらないという前提のもとで、肉体は異なっているという考え方にしてみたらどうだろう。
 たいして違わないようだが、意識のうえではおおきな異なりとなる。なぜなら、初めから別のものであるという前提が崩れ、根本が同じであると考えるだけで、見る目が一気に変わる。知っていることでも、主点を切り替えるだけで逆転となりうる。
 男は男らしく――女は女らしく。
 このフレーズは、伝統的な考え方であり、陳腐に感じられることだろう。これが言わんとするところは、基礎を大切にするということにほかならない。土があってこそ、植物や動物が生きられる。しっかりと地に足をつけていられるのは、まさにこの基盤があってこそに他ならない。男という存在があり女という存在があればこそ、バランスがとれ、極に至らずに済むというふうに。
 この主張は、実際に鋭いところをついている。仮に、男女の枠を完全にとりはらうなら、訪れるのはカオスということになる。秩序を保とうにも、保つべき基盤をうしなってはどうして立っていられよう。男女は、今の日本の状況をうつす鏡でもある。日本を簡単に表現すれば、カオスと姑息ということになる。伝統的な日本文化は、すでにその主体をうしない、カオスのなかにある。秩序や基盤がないため、大事なものは金であり、見た目の美しさであり、見せかけの良いこととなる。
 人は、それらを持つものを露骨に優遇する。そこには、節度もへったくれもない。
 見た目や虚勢に頼るしかないため、言動は偽善でしめられ、偽善の道から外れないように神経をすり減らす。立派であることを示そうとするための虚勢ならまだしも、他者の目に奇妙に映らないために腐心する。これはもはや、悲劇をこえた喜劇と化している。
 が、この状態は、あるべき状態の一つでもある。となれば、残った基盤を徹底して破壊することが求められる。そうなれば、人は彷徨うしかない。そして私は、おおいに彷徨ったらよいと思っている。いずれ、カオスはやってくる。遅いか早いかの違いだけだ。飛躍のまえには、いつもカオスが待っている。おおきくジャンプできるのは、ほとんどの場合、スランプや迷いのおかげだ。人であれ歴史であれ、パターンは似たようなものだ。大事なのは、今、それを経験する時期にあるかどうかだけだ。
 男女の枠をはずす――この挑戦は、もはや逃れられない時に来ている。男は女の、女は男の領域を獲得すればよい。それを獲得したあとで、その後どうすればよいか、迷走をどのようにくぐり抜けるかを考えればよいだけである。体験してみなければ分からない。すべてを含んでいく作業と、すべてを捨てさる作業こそが、熟練度をおしあげる。勇敢に、迷いの世界に飛びこめばよい。ウーマン・リブは、成功をおさめた。マンズ・リブも、それに続けるのか。むろん、続いていくことになるだろうが・・・。
椎名蘭太郎