[02]ウーマン・リブとマンズ・リブ

 男女において、自由度はどちらが高いといえるだろうか。女の視点にたつ今では、男は身勝手な動物であり、被害をこうむるのはいつも女ということになるだろう。いわゆる、悪の元凶は男にある、という風潮である。
 おもしろいことに、昔は悪の元凶が女である、と思われていた。それも、年寄りの女が悪者にされた。
 日本の昔話では、年老いた女の妖怪がよく登場し、ヨーロッパでも魔女といえば醜い年寄りの女というイメージが強かった。人々から忌み嫌われるのは、年老いた女だった。
 自由度というのは、力関係とも一致しうる要素だ。かつて、自由な存在であったのは、まぎれもなく男の方だった。これに不満を募らせた女は、ウーマン・リブを展開させた。
 当時の女の活動家が、不平等に思ったのも無理はない。彼女たちは、男が羨ましかった。男の持つ権利を得たいという願望が、運動につながっていった。
 同じように、マンズ・リブが起こるとすれば、女への憧れと不平等感をいだくことによってだろう。だが今は、男が女に憧れたとしても素直になれず、むしろ男を非難することに転化する場合がおおい。女に嫉妬しているものの、やり場がみあたらない男がよくとる態度だ。このような表現方法は、けっして健全ではない。
 ウーマン・リブによって、女はおおくの男の領域を手にいれた。自由を得られれば、元気も得る。自由を獲得し、元気を得るためにはそれなりの代償が必要となる。
 今後、男が女の領域を獲得しようとする、マンズ・リブは、すでに微かながら動きがみられる。だが、ウーマン・リブのような大掛かりな展開にはならないだろう。昔の女のような抑圧がなく、男女の質というものも影響を及ぼしている。もちろん、男女の優遇の差がさらに開けば、マンズ・リブはそれだけ盛りあがる。ちょっとした、社会現象ぐらいにはなるだろう。
 これには、時間がある程度かかる。繰り返し、訴えなければならない。この世の概念や常識は、繰り返されることによって固まった。人には個性があるというが、これも人が自分のことをどのように思い込んだか、そして思い込みを何度繰り返したかによって固まったに過ぎない。
 トラウマは、衝撃的な体験によってもたらされるが、これも実際に傷をのこすのは繰り返すことによってである。衝撃的な体験は原因であって、傷の正体ではない。傷は、衝撃的な体験の影響から逃れられず、繰り返し自らのなかに幻想を生み出すことによって発生する。
 社会も人の心も、繰り返すことによってできている。ウーマン・リブも、繰り返し述べることによって成功した。マンズ・リブの成功には、根気が条件となる。
椎名蘭太郎

[10]出会いのチャンス。

オーネットのシステム概要については契約書などを確認しながら書いたつもりだが、誤認識があるかもしれないし、いくつかのプランがあり、細かい規約などもあるので、加入を検討している方はHPや支社におもむくなど各自で確認されたい。
私はのみこみが悪いため、カウンセリング(商談)であれこれ質問したが、担当スタッフは親切に答えてくれたし、知識も豊富だったと思う。しかし、熟知しているスタッフばかりとは限らない。2004年にシステムが変わったらしく、若いスタッフや新入りの方などは、即答できなかったり、あるいはスタッフ自身が認識不足だったりするということもあるようだ。
特に確認しておきたい(混乱すると思われる)のは、プロフィールを記載した紹介書には、「初度紹介書」と「本紹介書」があり、どの時点でどの紹介書が行くのか、わかりにくい点である。すべてのサービスは、コンピュータに登録された紹介書が基本となっている。
紹介書には、2種類あり、最終的にお互いが気に入れば、電話とアドレスが記載された本紹介書が届く仕組みだ。(尚、住所は最終的にも記載されない。)そこからはお互いがやりとりをして、もし交際が終了したら個人情報入りデータ(紙)は返却する規約で、建前は複写厳禁である。しかし、個人情報がいくわけだから、注意しておきたい。決して情報の漏洩が懸念されるという意味ではない。集めて情報を売るには骨が折れるし割に合わないだろう。個人の事情を知られることに対する「気分」の問題である。
それら紹介書はたった一人と交わされるのではなく、同時進行で複数に及ぶ可能性は大いにある。可能性というよりも、それが実態だ。データで一致した人を紹介され、会員誌から選び、選ばれ、パーティもあり、紹介書が行き交うことは必至である。下手な鉄砲を撃ちまくる人もいるだろうし、打った鉄砲が当たりまくる場合(連絡できる相手の紹介書がたまって選り取りみどりという状態)もあろう。
逆に慎重な人もいるはずだ。この人がだめなら、あの人、と思ってしかるべきだが、その辺りのやりくりや節度の持ち方は本人の感覚次第。その結果、どうなるかは別として、結婚したい者同士のチャンスは大いにあるということだ。同時に弊害もある。その点は次回に。
本城愛子