[328]ジャンポールエヴァンの店(1)

ルーヴルからオペラの間はパリの中でも伝統的な観光地で季節を問わず世界中からの観光客でいつも賑わっています。だから食事処もお茶をするところもかなりいい加減なサービスと味なのに値段だけ一丁前なんだからといいたくなる店が多いのです。
またここには、高級店が並ぶサントノレ通りがあり、世界で一番土地が高い、宝飾店ばかりだかららしいけど、ヴァンドーム広場もあるから有名なセレクトショップの「コレット」やパリを代表するパティシエのジャンポール・エヴァンの店もあります。これらの店は軽食が食べられるサロン・ド・テを併設しています。
この店のすごいところは、ここがパリか東京か錯覚してしまいそうな雰囲気にあります。まずその理由の第一は、地上階(日本の一階)はショップなのですが、販売員の数名が日本人らしく日本語が良く聞こえる、そして包装や支払いが素早い、まるで日本のデパート並み。小さな商品にも大きな袋に入れるのも日本。
そして一階(日本の二階)にはサロン・ド・テがあります。ここはランチタイムになると近くの会社員と言っても場所がサントノレ通りだからシックな人たちばかり、またはいかにもこの界隈の常連買い物客と思わせるようなブルジョワマダムたちが大集合。
ここのランチタイムの食事にはセットメニューというのはないようですが、単品のひとつひとつをとても丁寧に作る少ない品数です。メニューだけ沢山あっても手抜き料理、レンジでチンして出すようなカフェやブラッスリーはパリに多いですからね。それからすると少ないメニューでも一品一品に手が凝っているなと思える料理を出す店なら少々高くても(と言ってもその差額は僅か1、2ユーロ程度でしょ)を払う気になれます。
時々耳にする話で、お菓子作りは目方が重要だから几帳面な性格でないと良いパティシエには慣れないし、また、良いパティシエは料理をするとしてもやはりきちんと目方を量るところがあるから美味しく美しいものが出来ると聞きます。
料理人の場合、感性が主体となって作るから料理人からパティシエに転職することは、パティシエが料理人になる事よりも少ないらしい。感性が重要視されるという点からか、料理人がソムリエになったという話は良くのですが。

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[290]甘えに対する反動

とある観光地のとあるレストラン。観光シーズンオフの冬に行った時はこんな時期に来てくれたというような歓待の雰囲気に溢れ、そのお店のお勧め料理を注文したら稀にに見る美味しさ。その後、その地でお祭りがあり再び行ってみて冬に頼んだ同じ料理を注文したら、混んでいたせいかかなりの手抜き料理にびっくり。お祭りだし、一元さんだし、ほかにまともな店もなく、お惣菜屋とかパン屋ばかりだから否応なしにこの店にまともな食事を求めて集まり忙しくなるのは分かるけど。でもそれってがっかり。あの冬の訪れで食べたあの味を求めて戻ってきているのに。忙しいのを理由に劣化するなんて。観光地=ご飯がまずいの典型。観光客に甘えてとしか言いようがない。
「甘え」と言えばそれは観光で来仏する日本人にも言えること。日本人は世界の人が認める位の「礼儀正しい国民」でもそれって本当なのかな?現地のフランス人や他の外国人に対してはニコニコ、控えめな発言、死語だけど「ぶりっこ」すらありえるのに、でもこれが同邦人の私たちに対すると食って掛かる勢いの時もあるのが不思議です。外国人相手なら折れる物を私達相手だと絶対に引き下がらないのは何故なんでしょう。相手が私達だと「お客様は神様」とその観念を押し付ける理由の根底は何?
外国人相手だと言葉の壁もあるせいかおとなしいけど、私たちに対するときは杭を打つ勢いの時もある。また要求も我侭もエスカレート。私たちはロボットじゃないんだから感情もあるんで、変な態度で出られたら反射的に同じような態度で返します。私のように外資系の会社に勤務し、上司から「日本人だけが顧客じゃないんだから」といわれるとなおさら。一般的に気が短い、物事をはっきり言うと言われるアメリカ人の方がサービスには限界があるということを熟知している気がします。だから彼らは自分の望む回答を得るために、見せ掛けだとしても謙った言い方や態度で自分のペースに乗せるのが上手い!またチップに対しても寛容だしこ慣れたもの。
私たちの態度がきつい、悪いとか言われることも時々ありますが、傲慢な態度のお客様に対してはこちらも横柄に、分かりきった質問に対してはそっけない返事になってしまうのは仕方のないこと。反対にそんなに恐縮されなくても、と思うような態度で来た人に対して、こちらも必要以上の協力を惜しまないというのは人情のみならず自然なこと。
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