〔20〕異動

徐々に秋も深まってきましたが、みなさん体調くずしたりしてませんか。私が今通っている会社は制服がないため、この時期、着ていくものには非常に悩みます。エアコンのせいで夏冬が逆!夏の“長袖カーデ”と冬の“半袖ニット”はもはや私のマストアイテムです。風邪をひきやすくなったのは、会社の温度調節機能が原因なのか、自分の年のせいなのか、わからなくなってきた今日この頃。とにもかくにも1年を通して健康でいたいものです。

うちの部を長年担当してくれていた経理部の松井さんが10月1日付けで人事部に異動になった。

どの会社に行っても同じようなイメージがあるが、うちの会社の人事は非常に暗い。たまたま近くを通っても同じ部の人同士が笑いながら雑談している風景を見たことすらない。

経理という部署も“管理”という括りでは同じようなイメージがあるが、松井さんはとても明るく、若者が多いうちの部では、お兄さん的な存在だった。彼は人望も非常に厚かったため、「松井さん人事なんかでやっていけるのかな」「ひどいよね」「かわいそうだよね」なとみんな同情的だった。

そんなこんなで先日、今までのお礼とお疲れ様の意味をこめてうちの部主催の「送迎会飲み会」をひらいた。

ひとしきりみんなで明るい話しに花を咲かせた後、異動の話しにテーマが絞られた。「オレもそろそろだよ」「所詮サラリーマンだからなぁ。願ってもみないところにとばされるのは仕方ないんだよなー」「オレなんか大阪や名古屋の方に行け、なんて言われたら思い切って会社辞めちゃうね」などとみんな口々に言っていた。

私は派遣だから異動には馴れている。「異動」とは全く別物かもしれないが、契約を切られ、全く別の場所に行くことをあまり悲観してはいない。でもそれは常に短いスパンで考えているからであって、「家族を養い、一生同じ会社で食べて行かなければならない」という重さを持っている男性とは全く違うからなのだろう。

「男の人は大変なんだなぁ」と思いながら、私は4年前に勤めていた会社での出来事を思い出していた。

私はその頃、派遣スタッフとして某飲料メーカーに勤めていた。そこで私達派遣仲間をしょっちゅう飲みに連れて行ってくれる男性がいた。国さんといいう人だった。当時34歳で、妻帯者。のほほんとしていながら、面白い話しが大好きで、常に私達と同じレベルで遊んでくれていた。

そんな彼がある日突然、東京の本社から中国のハルピンの工場に転勤になったのだ。

私達も国さんもショックだった。彼は徐々に語学研修や準備で忙しくなり、遊びに行くことを控えはじめた矢先、色々な噂が耳に入ってきた。

「アイツは出所もわからないような派遣の若い女の子達と遊んでばかりいたからとばされたんだ」「ろくろく仕事もできなかったんだから、いい戒めだよ」「アイツはオレ達と違って地方の三流大学だから仕方ないよな」など、その噂は聞くに耐えないようなものばかりだった。

仲良くしていたメンバーで最後のお別れ会をやった時、私達は彼に何と言葉をかけていいかずっと迷っていた。「ハルピンに行くの嫌じゃない?」そう聞いた時、彼はこう言った。

「正直今は嫌だよ。だけどそれを悲しいこととは思わないんだ。1つの仕事に精通するのも大切なことかもしれないけど、場所を変えて、普通の人では体験できないことをするのも面白いんじゃないか、って今は思ってるんだ」

そんな答えが返ってくると思わなかった私はビックリした。そしてそれと同時にステキな考え方だな、と強く思ったのだ。私が国さんだったらどうしただろう。きっとそんな静かな気持ちで冷静に考えることはできなかっただろう。

その時の国さんの考え方が、手を変え品を変え派遣として働き続ける私の心にしっかり根付いている。

異動でちょっぴり気落ち気味の松井さんに何気なく、その国さんの話しをしたら「すごくステキな話しだね。ありがとう、元気が出たよ。オレもこんなことで落ち込んでちゃマズいよな。」と言ってもらえた。

何の芸も持たない私だけど、色々な場所で働き、色々な人と出会う、それを繰り返しながら、こんな風に役に立てることもあるのかな。元気に飲み続けている松井さんを見ながら、心の中で思わずエールをおくった。

2001.10.25

〔14〕できる仕事、できない仕事

こんにちは、しじみです。一昨日から会社では仕事の話より、NYの世界貿易センタービル炎上の話で持ちきりです。私の周りには「戦争になったらどうしよう」なんて心配している人もいれば、「次はサンシャイン60じゃない?」なんて脳天気なことを真顔で言ってる人もいて、“人は色々なんだなぁ”と非常に興味深いものを感じました。かくいう私も第一報を聞いた時点ではスッカリ「浜松町の貿易センタービル」と思いこみ、翌日会社でそのことを話したら、周りの人に「君は本当に危機管理が甘そうだね」なんて言われてしまい、一気に落ち込んでしまった次第です。このテロ事件、日本も狙われていたとのこと。今後日本に飛び火するようなことのないよう、祈るのみです。

私は派遣スタッフだ。派遣という肩書きで5年もやってりゃ、様々な企業を渡り歩くわけだから、それなりに適応力も備わり、うまい立ちまわりも覚え、そろそろ“派遣のプロ”になってもいい頃だろう。しかし、どの企業に属していても時として「大きな疑問」を感じることがある。

就業先が決まった段階で、派遣会社からは「就業条件提示書」たるものが送られてくるが(呼び方は各派遣会社によって様々)その書面の業務内容の欄には“OA機器取り扱い業務”“経理業務”“営業事務”というような書き方しかされていないことが多い。

もちろん子供ではないのだから、「これはやってください」「ここまではやる必要ありません」などと明記する必要もないのだろう。社会人なのだから、ある程度は自分の判断で仕事をしていくべきだ。

しかしながら、実際現場で仕事をしていると“あれ?これって私がやるべき仕事なのだろうか”などという疑問がけっこう多いことに気付く。

私の現在の業種は「営業事務」だ。しかし実際にはそれに加え“ファイリング”“部長の秘書的業務”、支払いに関する“営業経理”的なことまでやっている。つい最近では、取引先の関係で毎週届くお花を社長室と部内の2カ所に分けていける“お花係り”という業種も新しく加わった。

「ここまでやるのはゴメンよ」と投げ出したくなった時期もあったが、“少し無理をすればできないことでもなかった”という理由と、“何事もやっておいた方が後々役に立つこともあるかもしれないから”という2つの理由から私はそれらを引き受けた。

そう、どんな仕事もそうだと思うが、派遣にも完璧なマニュアルというものはない。業務内容うんぬんではなく、大切なことは“自分の出来得る範囲でとりあえず、やってみる”という気持ちだと最近思うようになってきていた。

そんな風に珍しく前向きに仕事に取り組んでいた矢先、課長に呼び出され、仕事の話をされた。

4号の“時間の使い方にマイッた”でもちょっと触れたが、うちの会社は手書き処理が多い。つまり二度手間の部分が非常に多い。

課長からの仕事の話というのは「その部分を改善するためにシステム部の人間と相談しあってうちの部に合ったシステムを作り上げて欲しい」ということだった。

仕事の大切さを見直していた時だっただけに、正直腰が抜けた。私は営業事務なのであって、システムエンジニアではない。エクセルやワードなどのアプリケーションの知識だって無いに等しい。なのに、その私に「システム部と相談してそれなりにパソコンで処理できるものを作れ」?

明らかに、これは私の契約内容以外の仕事だ。いくら許容範囲の広い私といえど、そこまではできない。単純に嫌だから“できない”と言っているのではない。知識がないから“できない”わけだ。心の中にドロのようなコッテリしたものが渦巻いていくような気がした。

悔しい。「できない」ということはとても悔しい。“会社のために、自分の勉強のためにやりたい”という気持ちはある。“派遣スタッフはなんでもできる”とでも思っているのだろうか。私は便利屋ではない。ましてやシステムを作る仕事に携わった経験もない。専門の人を雇えばいいじゃないか。

いったいどこからどこまでが“派遣スタッフとしての私の任務”なのだろうか。そんなことを改めて考えさせられる出来事だった。契約書の中の「業務内容」欄の下に(ちょこっとでいいから)「非業務内容」欄てなものも記載しておいてくれると助かるんだけどなぁ…。

2001.09.13