〔43〕異業種交流会?

ある組織というものに属していると、それにどっぷり浸かってしまうことがある。それを楽と感じるか、苦と感じるかはその人次第だが、私はプライベートな時間まで組織に縛られていると気付くと、それがむしょうに嫌になってくる。

最近の私は、いつのまにか“会社の人達”とプライベートな時間を過ごすことが多くなってきていた。残業後、ご飯を食べに行く、休日に野球部の応援に行く、、、。何かにつけ、“会社の人達”が近くにいたのだ。

「なんだか最近パッとしないな。世界がだんだん小さくなっていきそう」

そう思っていた矢先、久し振りに合コンに誘われた。「みんな社会人なんだけど、若い男の子ちゃんばかりなの」「場所は新宿よ。高いビルのてっぺんにある、夜景の綺麗な飲み屋さん」社会人、若い男、新宿、夜景、てっぺん、、、その断片的なフレーズはなぜか私にノスタルジックで、かつ新鮮な気持ちを呼び起こし、急にうかれてきた私はその合コンに嬉々として出向くことになったのだ。

結果から話すと、それは非常に実のある合コンだった。相手の男の子は24~27歳くらい。カッコいい悪いは別として、全員お喋り好きの好青年という感触で、非常に面白かった。

会社の人達とご飯を食べ、休日にも会い、話す内容といえば、誰かの悪口か会社そのものの不満、また仕事の話し、そんなものにどっぷりつかっていた私にとって、彼ら若い男の子の話しは、ただただ聞いているだけで面白かったというわけだ。

その中でこんな話しが出た。「オレ働いて初めて気付いたんだけどさ、社会って出会いないよね?」「だよなー。いいこと考えた。今ここにいる仲間だけで、社会人サークルみたいなの作らない?みんなそれぞれ違う会社にいるわけだし、カッコよく言っちゃえば“異業種交流会”みたいな。社会の動向を知りながら、そこで出会いも探せるみたいな会!年齢には上限なしで。」

この思ってもみなかった発案には、私達女グループも盛りあがり、まさに仮想現実の世界と言わんばかり、「じゃ、ここをこうしよう」「あそこをああしよう」と後半からは一気に盛りあがったわけだ。

気付けばこの合コン、特にカップリングになる人など存在せず、いやらしい空気すら微塵も漂わず、その変わりに異様な盛りあがり方をみせ、「じゃ、またね~」で爽やかにおひらきになった。

帰りがけ、「いや、若い男の子ちゃんってパワーがあっていいね」なんてばぁさんみたいなことを言いながら、この“異業種交流会企画”はその場だけのものだろう、と私達女グループの誰もが感じていた。

しかし、これが違っていた。

なんと2日後にはもう「青山の某クラブを貸し切り、そこでまず第一弾として一大イベントを開こうと思う」というメールが私達女全員に入ってきたのだ。

“クラブを4時間借りるから、そこで30万として、フライヤー作りが約2万、簡単に計算すれば200人集めて1人から2000円取ればもと取れるよね”という大雑把ではあるが、わかりやすい計算も出来あがっていた。

素晴らしい行動力。

それはとんとん拍子に進み、私達は「第1期同志仲間(?)」として、そのイベントで活躍してしまったわけだが、これがまた意外な盛りあがりをみせ、面白かった。

これってなんだろう。“男女のいやらしさ”という枠からちょっとハズれた、同志団体?とでも言えばいいのかな。

会社がらみの疲れた生活を送り、「これからどうすればいいんだろう」などとただ、周りに流されていた私。それに思いがけない新風を送り込んでくれた“同志達”。

これからもイベント絡みのいいお付き合いが続いて行きそうだ。

2002.04.05

〔34〕セクハラ

定時ちょっと過ぎに会社を出ようとした瞬間、近くを通りがかった部長に「あれ?山口さん、ずいぶん早いねぇ。今日はおデート?」と呼びとめられた。

鼻歌を歌って歩いてきた彼は何かいいことがあったのか、やけにニコニコしていつになく機嫌がよさそうな感じだった。

私が笑いながら「いいえ。残念ながら女友達と食事です。」と答えると、近くでそのやりとりを聞いていた課長が「お。部長、若い女の子にそんなあからさまに聞くなんて。そりゃセクハラですよ」とやじを飛ばした。

部長は顔を赤らめ、「いやー。そうなの?ごめんごめん。山口さん、今の聞かなかったことにしといてぇ。」と言ってそそくさと行ってしまった。

これは“セクハラ”なのだろうか。

曖昧な言い方になってしまうが、私は実は“セクハラと思われるもの”に遭遇したことが無い。されていたのに気付かなかっただけかもしれないし、私のキャラがそういうものを感じさせず、されなかっただけかもしれない。

ま、それはどちらでもよいわけだが、上記のやりとりを思い返すと、なんとなく腑に落ちない気がしてしまう。「あんな会話でセクハラになってしまったら会話という会話ができないではないか」とふと悲しい気持ちにさせられた。

その後、プライベートでの食事の最中にその話しを出したら、ちょっと頽廃的な雰囲気を持つ友人はこう答えた。

「セクハラなんて流行らせたのはだいたいがブスな女なのよ」

彼女の持つ独特の理論は聞いていて非常に面白いものなのだが、今回の理論はこうだった。

「世の中の男と女っていうのはさ、みんな“性”でつながっているのよ。女にとって“性の対象”として見られて、ちょっかいを出されるなんて名誉なことじゃない?私だったら大手を振って歓迎しちゃう。ま、そういう女に男は手を出さないもんだけどね」

「セクハラされなくなったら、そりゃ淋しいわよ。そんな風に感じつつ、実際セクハラをされなくなった女が“私は女です”“まだピチピチです”ってことを訴えるために逆説法を使って“セクハラされた”と言い張って、自分が女であることを認めてもらおうとしてるだけなのよ」

その場にいた友人も私も笑い転げたわけだが、確かに。もちろんそれだけではないが、彼女の言ってることもわかる気がする。現に被害に遭われてる方には申し訳ないけど、そういう見方も案外ないとは言いきれないかもしれない。

“性的対象として見られる”ということを単純に考えると、嫌な気はしない。もちろんレズビアンなら別だし、それが就業中ともなると話しは違ってくるわけだが。

年のこと、彼氏の有無、洋服のこと、スタイルのこと、それらをけなされたらそりゃムカつくが、単に聞かれたり、ほめられたりする分には、それは会話の一部なのだ。それ以外に他の意図を読み取ろうとする方がおかしいのではないだろうか。そんな風に私も思う。

“セクハラ”と騒ぐ女性には、どこか「セクハラされたい」という願望が潜在的な部分に潜んでいて、それが男性に何度となくちょっかいを出すスキを与えてしまっているのかもしれないなぁ。

場面場面で、“この人にはOK”“この人はNG”と見極める目を持つということが、今の男性には必要なのかもしれない。

2002.02.01