〔6〕“時間”の使い方にマイッた。その後

前回、正社員と派遣社員の「時間に対する意識の違い」を書いてみました。今回はその続編(経過)です。(まだ読んでらっしゃらない方はHPのバックナンバー4号で読んでくださると助かります。)

私は様々な企業を渡り歩いてきたが、責任者である上の人間が下の人間の業務内容を全く把握しておらず、現場の状況がどのくらい大変か全くわかってないという会社は幸か不幸か、実はここがはじめてだ。

あの会議の後、頭にカーッと血がのぼった私は、翌日さっそく派遣会社の営業担当者を呼び出し、会議で起こったできごとを事細かく話した。自分が心底頭にきてること、もうこんなところで仕事をすることなどまっぴらごめんだ、という怒りもぶちまけた。

「それは山口さんが怒るのも当然のことです。山口さんのおっしゃってることは正しい。さっそく上の人とアポイントを取って相談してみますよ。」という頼もしい言葉が返ってきた。

私が現在籍を置く派遣会社は営業担当がコロコロ変わることで有名なところなのだが、4月から担当になった営業は幸いなことに意外とデキる人物でしっかり動いてくれる。

自分の感じたことが「正しい」と他人に念をおされ、スッカリ気をよくした私は「これで業務内容も少しは改善されるだろう。私の派遣社員としての働き振りも理解せざるをえなくなるだろう。あはは」と高をくくっていた。

しかし。派遣会社の営業が部長にその話をしてから数日後、状況はよくなるどころか思わぬ方向へ動きはじめた。それは部長からの部内メールで幕を明けた。

まず件名が“残業撲滅作戦”という非常に大袈裟なものだった。その件名を見た瞬間、私は「嫌な予感」を感じた。

「部員の皆さんには個人面接,部会等で残業の削減をお願いしております。これから夏場に向かい健康上も留意しなければなりません。で各自心して残業の削減に取り組んでください。なお、私自身も本日から出来るだけ早く退社するようにします。残業申請:本来,残業する場合は事前申請が必要です。当部では全て事後で処理してきましたが、明日から原則事前申請とします。残業する必要のある場合は課長に事前申請して下さい。」 その内容の下には“追伸”として「小泉内閣ではありませんが革新的部にしましょう。皆さん,当部の改革に取り組みましょう(ちょっと大袈裟か?)」となっていた。

おいおい、、。私が言っているのはそんな簡単なことじゃないんだよ。「改革=残業削減」。確かにそれも一理あると思う。でも何故、残業が減らないのか。まず、そこに焦点を絞らなくちゃいけないのではないか。表面だけしか見ようとしないで、簡単に結論づけてしまうあなたの意識こそ、改革すべきだ。

「とんでもないことをしてしまったのかもしれない。部長はすっかり小泉内閣になったつもりでいる。この件はもうすでに部長の中で完結してしまっている」会議で真っ白になった私の頭の中は一転、今度は真っ黒に塗りかえられた。

—-この件に関しては再度派遣会社が交渉中です。第3者を挟むことの難しさを知った出来事でした。なんとか自分の納得いく結果が出せるよう、皆さんの励ましにこたえることができるよう、今後も頑張ります。

2001.07.19

〔5〕残すという才能

しじみです。前号「時間の使い方にマイッタ」に関し、沢山の励ましのお便りいただきました。皆さんからいただいたメールには様々な思いがこめられていて、思わず泣いてしまったと同時に「こんなことで負けてはいけない」と前に進む元気をいただけました。いただいた1通1通が今私の心に残ってます。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。この件に関しては、今派遣会社と交渉中です。来週あたり、その経過をお伝えできればと思ってます。今週はお仕事とはちょっとそれますが、「残す」ということについて考えてみました。

ある日、前の会社でお世話になった先輩が私に言った。「私には優れた才能もないし、人より何かがぬきんでてできるわけでもないでしょ?だから子供が欲しいんだ」

最初私は“子供”と“才能”の繋がりがピンとこなかった。先輩はきょとんとしている私を見てこう付け加えた。「自分が生まれてきた意味を何かのかたちで残そうと思った時に、私が残せるのは子供なのかな、って思ったの」。

それからまもなく先輩は妊娠した。

私は物心ついた時から“残す”をいうことを考えた事がなかった。自分の生まれてきた意味や、自分がこれから何をしていくべきか、深く掘り下げて考えるということができなかったのだ。できなかったというより、そういう意識が欠落していたという方が適切かもしれない。

それは働き方にもあらわれていると思う。私は派遣社員だ。派遣社員の雇用主は派遣会社であって、就業先の会社ではない。そのスタンスが気に入っていた。私の頭の中は常に単純明快で「気に入った会社で働ける。でも正社員として拘束されることはない。正社員としての仕事内容を問われることもないだろう」正社員特有のわずらわしさからは常に逃げていたい、そんな風に考えていた。

だから業務上、全面にでることをさけ、ひっそり仕事をするよう心がけていた。契約が終了したら「あれ、山口さんなんて人いたっけ?覚えてないな」、そんななんの形跡も残さないような働きかたを望んでいたのだ。

先輩の妊娠を仲間内でお祝いしてから数ヶ月後、メールがきた。その中には妊娠した子供を流産したこと、その経緯、辛い心内が綴られていた。“しじみが一番楽しみにしてくれていたのにね。ごめんね”とまで書かれていた。

その時、私はことばでは表現できないほどの怒りを感じ、自暴自棄になった。「神様なんてこの世にはいないよ」しばらくの間それが私の口癖だった。

世の中には子供を産んだそばから殺してしまう母親だっているのに、先輩は子供を産むことを心から楽しみにしていた。子供を産んで、自分の意味を確かめようとしていた。そういう人に、こんな私がかけられることばってあるんだろうか。

かけることばが見つからないまま、何故か私は以前先輩が熱っぽく語っていた“何かを残す”ということを考えるようになった。“残す”という中には沢山のものが存在すると思う。芸術家やミュージシャンのように、自分の作品を目に見えるかたちで残せる人。もちろん先輩が言ってたように、子供だってそうだ。

だけど、目に見える物だけとは限らない。考えてみれば、先輩の存在は一緒に働いていた頃から常に何かを私に残してくれていた。彼女は結婚を機に仕事を辞めた時、あとに残った私の業務が混乱しないようにやりやすい道を作って残しておいてくれた。子供がお腹に宿った時の、感動や不思議さを私に話してくれた。

それは確実に私の心に残っている。“残す”というのはそういうことなんだと思う。少しだけ私の中で、何かが動いたような気がした。

先輩が元気になったら、この話しをしようと思う。

「私も先輩のように何かを残せるように頑張ってるよ。今は仕事でも、何かを残せるかもしれないって思いはじめてるんだ。こんな風に考えられるようになって、ちょっと毎日が楽しくなった。元気になったらまた赤ちゃんつくって。そして産まれたら私に一番最初にだっこさせてね」って。

2001.07.12