[20]すがも館とチャンバラ映画
第20回
■すがも館とチャンバラ映画
巣鴨には映画館は「すがも館」と「巣鴨松竹映画劇場」の二つです。すがも館は新興映画専門で、巣鴨松竹映画劇場は松竹映画専門でした。
何れも巣鴨にあって三流で、設備も悪く、入ると便所の匂いが充満しているし、座席も10人くらい座れる長椅子を何列か並べていると云った状態です。入場料は大人10銭、子供5銭で大抵映画は3本立てでした。それでも日曜日には立ち見が出るくらい満員でした。
此の昭和10年頃はもう映画もオールトーキーの時代でしたので映画館の前には幟がひらめいていました。映画は新派と時代劇でしたが、子供の頃は何と云っても旧劇・・つまり時代劇即ちチャンバラ映画です。チャンバラ映画だったら松竹より新興キネマでした。新興キネマは前身が帝キネと云い、後に大映になった会社です。
前にも一寸触れました俳優目玉の松ちゃん「尾上松の助」は大正の末期に四十代で亡くなっていますから、私らより一代前の役者で、まして無声映画ですから、もうこの頃には見ることは出来ませんでした。この頃の新興キネマのチャンバラの主役は、子供達の英雄になっていた「大谷日出夫」でした。ずいぶん沢山の映画に出演していました。大抵のスジは悪人をやっつける主役で人気がありました。殆どは新興キネマ京都撮影所で作られたようです。
その他の男優には「尾上栄五郎」「市川男女の助」「松本泰輔」「嵐徳三郎」「淺香新八郎」等・・女優には「鈴木澄子」「森静子」「梅村蓉子」「高山広子」「国友和歌子」「雲井八重子」「歌川絹枝」「松浦妙子」等・・そして私達と同年配であったろうと思われるアイドル的の存在であった子役です。現代でも活躍している「森光子」とか「日高松子」「日高竹子」「日高梅子」の三姉妹。日高梅子は後に「喜多川千鶴」となったのですが、その他は不明です。中でも今でも強烈な印象として残って居るものは「鏡山競艶録」と言う一作です。昭和13年に上映されたものですから、もう70年近く前のことになりますね。
新派の方はあまり興味がなかったから、あまり覚えていませんが、3本立てには必ず1本は新派が入っていました。美人女優であった「山路ふみ子」「真山くみ子」などが主流です。
この頃の映画界の情勢は良く知りませんが、大勢は「松竹」か「日活」かと云うことでしょう。何しろ俳優陣が揃っていましたからね、巣鴨には新興キネマと「松竹」しかありませんから「日活」は殆ど見たことがありませんでした。神田神保町にあった「神田日活」に自転車に乗って見に行ったのは、ずーっと後のことです。
兎に角松竹映画は必ずと云って良いほど映画主題歌が出てくるのです。特に新派には・・だから宣伝にもなるんですね。新派の女優も沢山揃っていました。「川崎弘子」「田中絹代」「高杉早苗」「桑野通子」「高峰三枝子」、子役で「高峰秀子 」等々。男優には「佐分利信」「佐野周二」「上原謙」等。これらの男優女優が競演して映画が作られた様です。
「川崎弘子」主演の「人妻椿」なんかは印象に残っていますし「田中絹代」主演の「愛染かつら」で高石かつ江に扮した田中絹代が看護婦姿で大きな劇場で「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」を唄った姿を見て、私らより年上の観客の涙を誘った姿は忘れられない事です。ですけど実際に唄ったのは田中絹代ではなく、吹き替えで初代ミスコロンビアの松原操(歌手 霧島昇の奥さん)だったそうです。「桑野通子」は現役中に早逝しました。「高峰三枝子」は唄える女優として「湖畔の宿」が一世を風靡しました。 「高峰秀子 」は子役から始まりましたが印象に残っているものは「秀子の応援団長」と言う野球の映画で歌手の「灰田勝彦」と競演し,灰田が独特の声で「野球小僧」を唄っていたようです。その他にはずーっと後ですが、「二十四の瞳」とか国産初の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」等がすごく印象に残っています。
「松竹映画」の時代劇の俳優も多彩でした。男優では「林長二郎」「坂東好太郎」「高田浩吉」などで、「林長二郎」主演の股旅ものの「旅のかげろう」とか「坂東好太郎」の「美女桜」等の記憶がありますが、唄える役者として「高田浩吉」も人気があったようです。
昭和12年に「林長二郎刃傷事件」がおきました。原因は彼が松竹から東宝に移籍したことから、新興キネマの京都撮影所長の指示で元運転手がカミソリの様な刃物で、林長二郎の右耳下から鼻下まで10何センチも切り裂いたそうです。役者は顔が命、まして林長二郎は他に類を見ない美男子だったのですから。そして此の事件を切っ掛けに、林長二郎の芸名を松竹に返還して以後本名の「長谷川一夫」となったそうです。
こんな訳で松竹の「林長二郎」主演映画は此の「旅のかげろう」一本だけで、巣鴨には「東宝」がありませんでしたので、縁も無くなった感じです。「林長二郎」が居なくなった松竹の時代劇は「坂東好太郎」主演映画が主流になったようです。でも子供達にとっては強いヒーローが欲しいわけですが、「坂東好太郎」は柔弱な美男子で、どちらかと言えば女性向きの役者だった様です。松竹にも時代劇の女優さんも沢山居たと思いますが、あまり思い出せません。
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