[52]青葉の夢・精進湖心中事件

2019年3月21日

第52回
■青葉の夢・精進湖心中事件
「青葉の夢」と言うのは映画の題名であって、実際には「精進湖心中」と云うのですが、心中と云っても男女別々に発見されたために、特異な部分の際だった事件であったと云います。
男は東京高等学校の理科の教授で北川三郎31才で、女は麻布六本木のカフェー誠志堂の女給で小林よね子22才と云います。事件は昭和3年に起きていますから、年齢も当時のものです。北川教授は世界文化史大系の翻訳者としての有名人であったそうですが、昭和3年3月4日に代々木初台の下宿先から行方不明となり、一方の小林よね子は同年2月にカフェーを辞めていると云います。
北川は性格は生真面目で小学校から東京帝大まで首席で通した希に見る秀才であったと云います。父は陸軍予備大尉で、一族揃ってよね子との結婚には反対だったと云います。そして行方不明になったので、父は私立探偵を使って行方を調べたところ結婚を約束していたよね子と富士の裾野の方面へ向かっていたことが分かったと云います。
昭和3年3月14日午後4時に、よね子は死体となって富士山麓の精進湖の近くにある青木ヶ原樹海で発見されましたが、北川の死体は近くにはなかったそうです。大捜索にも拘わらず発見出来なかったそうです。
発見されたよね子の死体は、樹海の奥にある氷柱に閉ざされた狭い岩穴の中にあって、全身は凍傷で顔なども確認が不可能な状態だったと云います。二人は3月8日以来ここで最後の夫婦生活をして、3月11日頃毒を飲んだと推察されて居ますが、よね子だけ死んで、北川は息を吹き返してしまったようです。そして樹海を出て倒れているところを3月12日に、近くで茶店をしていた男に助けられ、茶店に泊めて貰ったが、一晩中泣いていたと云います。
3月13日には茶店を出て、よね子の死体のある岩穴に戻ってその近くの樹木で首を吊ったけど失敗した。樹海の中の雪の上には憔悴した北川の乱れ飛ぶ足跡が残されていたと云います。よね子は3月17日に精進湖畔で火葬にされ、北川の好きだったシクラメンの花も一緒に燃やし、友人達はその火葬の火を眺めながら、北川の好きだったバイオリンで「G線上のアリア」を涙ながらに演奏したと云います。
そして3月27日午後4時、山梨県上九一色村の阿難坂峠から11キロほど離れた山林の中で北川らしい男の死体が発見されたと云います。北川は三つ組みの背広姿で、雪の中で行き倒れて死んだものと推測されました。
此の「精進湖心中事件」は女だけが死に、男は生き残って彷徨い歩いた後に死んだので、特異な事件だったようですが、事件から8年も経った昭和11年になって、新興キネマの映画となり、また「青葉の夢」と「さすらいの星」と云う歌まで出来て、東海林太郎と澤雅子によってレコードが発売されたようです。
此の二つの心中事件に共通していることは、親の反対で結婚出来ないことを悲観して心中したと云うことですから、現代から考えると隔世の感が感じられますね。
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