[73]田舎の環境?土気トンネルと蒸気機関車?

2019年3月21日

第73回
■田舎の環境?土気トンネルと蒸気機関車?
此の「池田」と云うところは、見渡す限りの田んぼの中に、飛び出すような形で小さな山がせり出しているような地形でした。私の家はその山の一番下の土地で、田んぼの畦道から山の入り口のところから直ぐ右に入った所で、広さは500坪くらいあったと思います。
入り口から急坂で頂上までの途中に1軒、頂上に1軒で、3軒ありましたが全部親戚だったようです。頂上からは下り坂には何軒か家がありますが、うちとの関係は分かりませんが、寺の過去帳を調べて見ると、この辺は「中峠」と書いてあり、苗字は分かりませんが、遠い先祖には関係があったかも知れません。
家は、入り口の道路から入ると、正面にドーンと大きな母屋が建っていました。屋根は茅葺きです。田舎の建物ですから座敷以外は全部土間です。土間を入ると奥には母屋とは別の屋根が葺いてあり、そこにつるべ井戸があり、その奥に土の竈が三個並んでいました、その脇に大きな鉄の五右衛門風呂のような風呂があり、その横の方に炊事場でしょうか、流しがありました。
その竈の左は解放されていて、山肌の崖で、人が十分に入れる奥行き5mくらいの洞が三つくらいあって、一つには薪や木の束などの燃料が積まれ、一つには野菜などが貯蔵されていたようです。もう一つは何に使っていたかは分かりません。その洞の前には少しずれた所に小さな沼がありました。その沼で大人がふんどし一本になって「鯰」を捕まえていた事を覚えています。
入り口の道路から家の敷地に入ると直ぐ右側に馬小屋があり、黒毛の馬が一頭飼われていました。その馬小屋の横は立木が何本かあって、その間に小便の樽が三つ程置かれていました。小便を貯めておいて畠の肥やしに使うのでしょう。
ですがそこからは見通しがすごく良くて、田んぼの畦道が一直線に見え、其の先500m位の高台に大網(おおあみ)から土気(とけ)に向かう単線の列車の通る線路があったのです。
大網から土気に至る道は坂道で上りですから、蒸気機関車は喘ぎながら走って行きました。必ずボーっと汽笛を鳴らします。小便をしながら其の機関車を眺めるのが楽しみでした。
此の「土気トンネル」の話ですが、何年か後に蒸気機関車が客車が重くてトンネルの中で止まってしまった事があったようです。其の時機関車の煙で運転士が死んだのか、意識を失ったのか定かではありませんが、事故が起きたらしいです。それからは蒸気機関車は二重連となりました。機関車が二台で引いていく姿は勇壮で凄く感激でした。
その後此の土気トンネルは天井をぶち抜いてトンネルではなくなってしまいました。その当時悲しい出来事があったと聞きました。この村の何処かのお嫁さんでしょう。身なりも悪かったそうですが、小さな赤子を抱いて此の列車の鉄路にうずくまって、列車に跳ねられて死んだ・・と云う話を聞きました。此の暗い線路で子供を道連れに心中するなんて、悲しいですね。
話は元に戻ります。その奥に母屋と繋がって大きな納屋があり、その中には沢山の色々な農機具が入れてありました。
母屋の丁度真っ正面の10mくらい離れた所に小さな小屋があり、それが便所だったのです。中に入ると直径2mもあるそして人の背丈くらいの大きな樽が置いてあり、その上に幅30cm程の板が2枚掛けてあるのです。子供の時はその板に乗ることも怖くて出来ませんでした。家の中には便所はなかったです。
後の話ですが、妹たちは田舎には便所がないから行きたくない・・なんて云っていました。早速お爺ちゃんが家の中に作ってはくれましたが、座るとお尻が地面に着いてしまうようなものだったので、あまり行かなかったようです。しかし、夜中にオシッコをしたくなって庭に出ることは怖かったです。空を見上げると満天の星が、まるで降ってくるような感じでした。今は夜になっても星は見えませんが、昔は凄かったです。
庭には沢山の柿の木と蜜柑の木がありました。柿は殆ど渋柿でしたが、蜜柑は夏蜜柑のようなものは酸っぱくて食べられませんでしたが「チワワ」と云う小さい蜜柑は結構食べられました。この辺の土は、普通の土と違うように感じました。色が白っぽく、そして柔らかい感じです。
qrcode764878.gif
RC蒸気機関車 (黒鉄色SLタイプ)
楽天で「蒸気機関車」を探す