人とコンピュータ――この違いはどこにある?
どこが違うかね?
確かに、これらは違うだろう。違うような気がしないでもない。
人には意志があり、心もある。
なるほど。あなたには意志があり、心がある。
けれど、その意志や心はどこから来たのかね? あなたは、あらかじめ与えられたもののなかから選択しているだけじゃないの?
その選択さえ、他のちからによって支配されていない?
心は単なる、あなたの記憶の残像でしかないとしたら?
あなたの思いが集積した、残像。
どうかね?
コンピュータも、あたえられた条件のなかから選択する。人とコンピュータは、あまり変わらないものなのかもしれないよ。
我々は男であり、あるいは女である。どちらか一方だ。
でも、どうしてどちらか一方である必要がある?
あなたはいつから男になり、女になったの?
男女――。
それは、当然のことかもしれないね。
だって、あなたはプログラムされてきたんだもの。
どうして、それ以外でいられる?
どうやったら男でなく、女でもなくいられる?
そう。
人は、あらゆることにプログラムされてきた。
例えば、池で溺れる人がいるとする。
あなたならどうする?
どのような選択をする?
もしあなたが戦国時代に生きていたら、あなたは溺れるまで待ち、首をとり、褒美を得たかもしれないね。
それとも別の世界に生まれ、命を投げだしても人の命を救わなければならないとプログラムされていたら、きっとあなたはその人を救うために命を投げだしたことだろう。
軍人が、国のために命を投げだしたようにね。
どちらにせよ、あなたは誉められる。
プログラムされた通りに動いたから、あなたは誉められたんだ。
でも、本当はあなたなど問題ではないよ。
プログラムがプログラムを誉めただけ。
社会で生きる人々も、あなたも、結局はプログラムによって動かされていただけなんだもの。
それにしても我々は、どうしてこうも二つだけなのかね?
100の人がいるとして、彼らはそろいもそろって二つだけを目指していく。
一つは男へ。もう一つは女へと・・・。
どうして、二つだけなのかね?
どうして、100ではいけなかったのかね?
それとも、二つでなければナンセンスとでも言うのかね?
椎名蘭太郎
カテゴリー: 男と女のシーソーゲーム-椎名蘭太郎-
男の世界は終焉したのか?それとも一時的なものなのか?人類が生まれ、男と女が存在し、何万年もの間繰り返してきた男と女のシーソーゲーム。椎名蘭太郎が語る男の精神解放と女の駆け引き、そして本当の男女のあり方。
[20]優劣のオンパレード
人は優劣をつけたがるもの。どうあっても、どうしても優劣をつけなければ気がすまない。
だって、見てごらんよ。
裁判・・・戦争・・・資本経済・・・競争・・・。
そこらかしこは優劣ばかりだ。
――昔は女が悪者にされ、今は男が悪者にされる。
そもそも、どうしてこんなことになったのかね?
悪者なしでは生きられないように・・・。
あるいは、それはシーソーの仕業とでもいうのかね。善悪、男女、陰陽はシーソーそのものだからね。
神をみてごらんよ。
悪魔をみてごらん。
これらはいったい何かね?
なんの真似なのかね?
両者はどちらも変わらないよ。シーソーの片方に男があり、もう片方に女があるようにね。
もしあなたが、神がいるといい張るのなら、悪魔がいるといい張るのなら、それはもちろんそれでいいよ。むしろ、いるというより、あなたが創りだしたといったほうがいいかもしれないね。在ると思えば、それはどうしようもなくそこに在るものだからね。
けれど、忘れちゃいけないよ。
それは何かね?
どういう類のものなのかね?
それに悪魔がいるとして、どうしてあなたがそれを非難できよう。
仮に、あなたが喜びや笑いを求め、それを獲得しようとしているなら、その裏でかならず悲しんだり泣いたりしているものがいるんだよ。
だって、そうじゃない?
シーソーは一方が得られれば、どうあってももう一方がうばわれるんだ。一方が上がれば、もう一方はかならず下がる。
あなたが幸せなら、その幸せのぶんを誰かが肩代わりしなくちゃならない。だとしたら、不幸を背負うのは悪魔にきまっている。いつも彼らが背負ってきた。
あなたは、悪魔を踏み台にして幸せをもとめてきたんだよ。
それにしても、我々はいつも、
男がいけない、
女がいけない、
怒っても駄目、
悲しんでも駄目、
――と唱えつづけてきた。
なぜ?
どうしてこうまで駄目をばら撒くの?
与えることはよくても、奪うことは悪くなる。
それは本当かね?
これらの違いはいったい何なのかね?
そもそも、男が悪くあってもいいじゃない?
それとも、どうあっても平等であらねばならないのかね?
どうしてそうなの?
どうして決めつけるの?
世界には、否定も、怒りも、悲しみも、実際に存在しているのに・・・。
だって在るものだよ。
冬がなければ季節がうしなわれる。
春だけじゃ季節にならないよ。
これじゃ、何にもなしの、笑い話にもなりやしないよ。
男が悪くあってもいい。
怒りがあってもいい。
悲しみがあってもいい。
それらは、れっきとして存在する。
それは、必要なものとして存在している。
同時に、優しさや喜びだけを求めることもないよ。
どうして、それらだけ優遇できよう?
もしそうするなら、あなたはシーソーに弄ばれてしまうよ。
つまらないことさ。
どうしても優劣をつけたいなら、
そうしなければ気がすまないというなら、
そのときは自分の都合で優劣をつけている、ということを肝に銘じておくべきだよ。
きっと、そのほうがいいよ。
椎名蘭太郎