[29]男の精神解放 ニ.

男も美しくあるべきだ――といえば世間の反応はまだ冷ややかだね。おそらく、「女みたい」「オカマじゃない?」――というところに落ち着くだろう。
女の場合、「強く、美しく」は今や当然であるが、男の場合は考えかたが遅れている。美しさを公然と目指すには抵抗があるようだ。
でもね。彼らも、女と同様に、強さだけでなく美しくなることに興味を持っている。持ってはいるが、それを目指すだけの環境になく、勇気がない。
香水などを使ったとしても、言い訳をしながら使用する人のなんと多いことだろうね。
どうして彼らが、こんな惨めな状況にあるかといえば、それはただ、堂々と自らの権利を主張しなかった、の一言に尽きる。
もちろん、なんら男が美しくある必要はないよ。好きなことを好きなようにやれればいいだけなんだから。主張だってしなくていい。
むしろ、美しくなく主張しないことこそ、美しいことかもしれないね。
だって、みてごらんよ。自分のことを主張する人々をね。彼らには争いが絶えないよ。
主張する人々のもとには、つねに怒りと悲しみのエネルギーが蔓延している。誰とやりあっているのかといえば、実は、自分自身とやりあっているに過ぎない。それらの不幸なエネルギーは、常にあなたとともにあったのだからね。
なんだったら保証してあげるよ。自己主張がつよすぎると幸せになれないとね。
ただしだよ、選択権をえることは大事だよ。やるやらないの選択権。
それに男が着飾ると、あなたは違和感を覚えるだろう。
それはいったいなぜかね。これまでのあなたに媚びれついた記憶が正体でないかね。
美的感覚にしても他のものにしても、人はこれまでの記憶から異質なものに拒絶をしめすからね。
男が着飾ると、これまでのあなたの習性が敏感に反応する。汚臭をかんじる。
人は習性に服従する生物だ。一度、ついた感覚とイメージはなかなか変えられないよ。
ただし、それもおおきな障害にはならないよ。時間はかかり、初めは苦労する。でも、年配の女は今では派手な服を着るようになった。昔では考えられず、異質であったことが、今ではおおきな抵抗はなくなった。
どちらにせよ、自分らしくありたいなら、避けたり誤魔化したりせず、しっかり主張するといい。まずはそれからだ。男も、「強く、美しく」を目指してもいいね。
これは逆に考えることだってできるよ。今なら、着飾る男は少ないから、希少価値がつく。となれば、それはおおきなチャンスにつながるとはおもえないかね。
椎名蘭太郎