結婚したい気持ちはあるはずなのに、色々と考えるばかりでオーネットの活動期間が過ぎていく。そのうち、オーネットというスタイルで相手を探すことに疑問を感じ始めていた。子どもが急速に成長していく時期であり、何かと忙しいこともある。
私には、日々の育児もあるし、休日に子どもと何をして遊ぶか、という重要な課題があるのだ。成長記録ビデオの編集作業もたまっている。こうして子どもに心を砕くことが親以外の第三者にできるだろうかという思いがくすぶる中で、私はオーネット退会の決意をした。
ところで私の知人で長年不妊治療をしていた夫婦がいる。治療には費用がかかるし、精神的な苦痛も大きいと聞く。それでも我が子を抱くことを夢見て10年あまりがんばったらしいが、ついに諦めて、残りの人生は2人のために、2人で楽しく過ごそうと決めたらしい。そう決めた瞬間から2人の世界観は大きく変わった、と彼らは言っていた。肩の荷が下りたのだろう。オーネット退会を決意した気持ちと重なる。
結婚を諦めたわけではないが、結婚したい、両親が揃っていた方がいい、そうした呪縛から逃れ、自然の成り行きに任せようと思った瞬間、私は自由になれた気がした。何とも言えない開放感と充実感を得たのだ。もしかしたらこの先、異性との出会いがないかもしれない。それならそれでいいではないか、と思うのだ。バーチャルな出会いが錯綜する世界で、迷い戸惑いながら『結婚』に翻弄される必要がない分、まだマシだ。
私の場合、オーネットの費用は一括で支払っているのでいくらかの返戻金がある。入会してからの数ヶ月で大きく消費してしまう仕組みなので返戻金はたいした額ではない。費用は1年間で消費してしまうが、在籍期間は2年間。もし退会しなければ、払った会費(入会金を除く27万円程度)で2年間は在籍して活動することができるが、惰性で続けてしまうのは無駄だと判断した。
本城愛子
[18]越えられた、シーソー
私の知りうるかぎり、男女は競い合っている。いや、男女が競い合っているというより、男の枠として生まれた者、あるいは女の枠として生まれた者が自分のために腐心している。
醜くはあるが、どうにかなるものでもない。自分で自分のことを素晴らしいとはさすがに言えなくとも、自分の性なら褒めることができる。あるいは、けなすことができる。男女の枠のことであれば、それが自分の損得であっても、他人のためと言える。
男女は、本当に仲良くなれるだろうか?
当然ながら、醜い争いの反対は、互いへの尊敬となる。男女の間でもそうなればそれにこしたことはないが、実現可能だろうか?
この問いは、世界に持続的な平和がおとずれるか否かの問いと同質のものだ。なぜ、こうも人類はあくなき戦争をつづけるのか? というものだ。
これは、しごく簡単だ。あくなき戦争をつづけるのではなく、人類が戦争を必要としているからつづいているだけのことだ。もし人類が戦争での学びを必要としなくなれば、戦争は意味がなくなるだろう。
ただし、そんなことを考える必要はない。あなたは、あなたのことだけを考えていればいい。だって、戦争だの世界平和だのということは、あなたの問題ではない。そんなことは放っておけばいい。
それより、あなたが戦争を必要としなくなったら、あなたの心に永遠の平和がおとずれるだろう。それだけのことなんだから。
が、実際はそうもいかないね。日本は戦争だらけだ。戦争とおなじエネルギーがつねに使われている。
犯罪者を裁くのをみたまえ。彼らは、被害者から復讐を受け、社会からは排除されている。これを戦争といわず、なにを戦争というね。
戦争を起こす根本はなにかね。その根っこはどこにあるね。
思想、宗教、反道徳、それに利害関係・・・。そして、人の醜いものを動かすより根本をさぐってみるのだ。
憎悪であり、復讐であり、貪欲さではなかったかね。戦争をつづけるためには、これらの負の連鎖なしには考えられない。肉親や友人、土地を奪われたことへの復讐がかかせない。それがなければ、長続きはしないものだよ。
犯罪者への裁きも、つかっているエネルギーはおなじものだよ。今の社会は、犯罪者を更生させようとするものでなく、単なる復讐だ。このことを忘れてはならないよ。
平和を乱すものとは利害であり、怒りであり、復讐であり、執着である。これらのエネルギーによって人が支配されないかぎり、持続的な争いには発展しないよ。が、あなたが許せば許すほど、受け入れれば受け入れるほど、平和はちかづいてくる。
イエス・キリストをみるといい。イエスは、自分を十字架にかけようとしていた者のためにさえ祝福をおくることができたと云われている。自分を殺そうとしている者のために、その最中に祈っていた。
考えてみてほしい。自分や自分の家族がどのような目に遭っても、ふかい慈悲につつまれる者を、どうして他者が不幸にすることができる? 誰が、かの者の意識を乱すことができるのか?
イエスの意識は、永遠の平和をえていた。そうであれば、もはや戦争の意味はなくなる。そうであれば、男女も尊敬しあえる。むしろ、それらはもう必要としなくなるのだ。
椎名蘭太郎