[01]プロローグ

?水と安全と「出逢い」はタダじゃない?!?
2006年の夏の終わり、私は大手結婚情報サービス・オーエムエムジー(オーネット)に入会した。選んだプランは、およそ30万円のカジュアルプラン。ちなみにスタンダードプランは40万円程度だったと思う。これに写真撮影ほかサービスがセットになった十数万円のオプションプランもあると言う。
私が担当者から勧められ説明を受けたのは、この3つのプランのみだが、ウェブの資料等をみると、もっと手厚く高額なタイプもあるようだ。システムの詳細はさておき、私は出逢いを結婚情報サービスに委ね、実質27万円という大枚を叩いたのだ。(※入会金3万円はキャンペーン値引き)
『オーネットに入会した』―私はこの事実に少なからずショックを受けていた。異性に縁遠い行き遅れ男女が集うというイメージの、いわゆる「結婚相談所」の利用者になってしまったという軽い絶望感と自嘲。そして、良縁に恵まれるかもしれないという淡い期待感。それは、宝くじを購入する感覚に似ている。
大抵は当たらないのだろうが、買わなければ当たらないし、もしかして当たるかもしれない。抽選日までの楽しみとは言え、無駄な買い物をしているのではないかという後悔も否めない。しかし、現状を飛躍的に打破するための投資であろう。とにかく、絶望と期待が入り交じった奇妙な心境であった。
私は昨春、37歳で幼子を抱えて離婚したシングルマザーである。独身時代は仕事と遊びに明け暮れ、三十路を過ぎてから結婚・出産。言わばひと通りのことは経験してきたわけだから、残りの人生は我が子に捧げ、独身を貫くのも悪くはない、と思った。その一方で、子どもには父親が、私には夫が必要で、両親揃った「家族」に対する未練を捨てきれずにもいた。
また、適当に“つまみ食い”を楽しむ、という選択肢もあるのだと密かに考えていた。高齢子持ちというリスクを抱え、女性としての商品価値が下落していることはうすうす感じていたが、離婚当初の私は、恋愛・結婚市場を甘くみており、まあ何とかなるだとう、と高を括っていたのだった。
本城愛子

[05]ピュアな恋(その2)

パトラッピーの友人が私に「彼はタイレストランでアルバイトをしていたんだ。それがイミグレーション(移民局)に見つかってしまって強制送還されるんだ」と。それって、ハワイに居られなくなるってこと?
私は泣きそうになりました。友人いわく、パトラッピーはタイには帰らずにハワイを離れて彼の知り合いがいるアメリカ本土、バージニア州に行くつもりらしい。学校に来れなかったのは、移民局オフィスで拘束されていたらしく、それもあと3日以内にハワイを離れなければいけないらしい。私はあまりのショックに金縛りにあったような気がしました。
その夜、パトラッピーが私のアパートに来て、すまなさそうに事情を話してくれました。パトラッピーは私も一緒にバージニアへ行こうと言ってくれました。一瞬、その言葉は嬉しくて一緒について行きたいと思いました。彼のことを好きだし、できれば離れたくない。でもやっぱり行けない・・・「一緒に行きたいけど行けない」この言葉を伝えるのに2日かかりました。もうあと1日しか一緒にいられない。できる限り、私とパトラッピーは一緒に残り少ない時間を一緒に過ごしました。
飛行機の出発時間は夜の11時だったので、早朝から一緒にいました。私がげっそり落ち込んでいるのを見て、パトラッピーは一輪のバラの花を買って元気づけてくれました。パトラッピーは「離れていてもだいじょうぶだよ」と何度も言ってくれました。空港へ行く時間が近づくにつれて、私は気分が悪くなってしまい、やっぱり彼について行こうかと考え始めました。でも、最後は泣きながらパトラッピーを見送ったのでした。
その頃はメールというものがなかったので、ひたすら手紙を書きました。たまに電話で話もしました。私はハワイという場所柄、朝から夜まで忙しく、彼に対する寂しさも慣れていき、手紙を書く回数がだんだん減っていったのです。
寂しさを紛らわすために、日本人同士で遊ぶことが多くなり、パトラッピーの存在がどんどん消えていきました。残念ながら、自然消滅という形で終ってしまいましたが、彼はバージニアで大学を卒業し、タイに戻り、現在はタイ航空の客室乗務員をしています。1年に1回くらい、成田空港から電話がかかってきます。(残念ながら会ってはいませんが)私達は本当に短い交際期間でしたが、思い出はいっぱいで素晴らしい時間を過ごしたと思っています。
谷川ともみ