〔8〕小さな一歩

私は気が小さい。大きな騒ぎを起こして、自分がその場所に居づらくなるくらいなら、何もアクションを起こさず、じっとしていた方が身の為だと思っている、ある意味、卑怯な人間だ。

今までの私は何かに対し、憤りを感じたり、失望したりするようなことがあっても、その核心に触れることを敢えて避け、それを忘れるための“別の物”を探すことが得意だった。そうやっていくつもの「本来であれば自分で解決しなければいけない出来事」から逃げていたのかもしれない。

今回そんな私が“時間の使い方にマイッた(4号)”“その後の経過(6号)”にあるように、ひどく怒った。会社側の扱いにひどい憤りを感じ、それを(第三者ではあるが)派遣会社の営業にぶちまけ、身の潔白を証明して欲しいと頼んだ。

あの時、私はどうしてあんなに、夜も眠れないほどに怒ったのだろう。

ふと冷静に考えた時、「自分という存在を認めてもらえなかったから」と漠然と思った。“派遣社員”“女性”とかそんな理由で「ゴミ箱的な存在」にされるなんてまっぴらごめんだ、私は痛切にそう感じたわけだ。

いくら派遣社員が普通の企業に浸透してきたと言っても、まだまだ“派遣”=“パート”という図式はあるのかもしれない。「派遣社員なんだから、いいように使おう」。そういう考え方は根強く残っている。もちろん私はそれでも仕方ないと思っている。こっちは“使われる側”なんだから、上の人達がどんな考え方を持とうが、それを否定することはできない。

ただ、あの事件をきっかけに「一緒に仕事をしていく以上、派遣だろうが、正社員だろうが、理解しあわないといけない部分はもっと他にあるのではないだろうか」と思うことが最近多くなってきた。

怒りは何も生み出さない。訴えただけでは残業は減らない。一気に180度状況が変わるなんてありえないんだ。だとしたら小さな気になることから少しずつ解決していかなくてはいけないんじゃないか。

この会社に身を置いて約1年半。度を越えた業務量に疲れ果て、自分の限界を感じ、契約を切ろうと考えたことも何度もあった。でも、私は更新を繰り返した。

何故だろう。たぶんそれは、私はいつのまにか「この会社の、この仕事が好きになっていたから」なんだと思う。

「パート気分で仕事をしてる”?“腰掛け的に働いてる”?派遣をそんな目で見る人がいるけど、そんな風に考えたこと私は一度もないよ。ここの、この仕事が好きだからこうしてここにいるんだよ。私は仕事をしながら“業務がもっとうまく流れる方法はないか”といつも模索してる。何かあった時本気で怒ったり、泣いてしまったりする。それは全てこの仕事が好きだからなんだ」

もしかすると、そういう気持ちをまず伝えるべきなんだ。一緒に仕事をしている人たちに自分できちんと。

まだまだ甘いかもしれないけど、それが、自分の存在を認めてもらう、私流の小さな最初の第一歩かもしれないな。

2001.08.02

〔7〕聖なる場所

しじみです。毎日溶けちゃうような暑さが続いてますが、皆さんはもう旅行などされましたか?私の部ではもうすでに何人かの人が休暇をとり、早い夏休みを楽しんだようです。旅行がそれほど好きではない私は、この時期になると実は毎年悩みます。「え?どこも行かないの?」と言われるのもなんだか悲しいし、かと言って今のところ「ここに行きたい!」というほどの場所もないしな。8月の末あたりに4日間ほど休暇を取る予定なので、オススメの場所などありましたら、是非教えてください。

先日、ある番組で登山などしそうもない有名な女優さんが「登山を初めてから、自分の原点はここにあるんだということに気づいたのです。私にとって山は聖なる場所なんですね」というような話をしていた。

「ほう、聖なる場所か。私にとってはどこかな」なんて考えが思い浮かんだ。

エネルギーをくれる場所、自分が一番楽でいられる場所、それを聖なる場所とするなら、私の場合は間違いなく“夜の町”だろう。

私は高校時代から夜中外に出て遊ぶのが大好きだった。今でこそあまり飲めなくなってしまったが、そんなティーンの頃は夜な夜な友達と家を抜け出し、今でいうクラブでお酒を飲んで騒ぎ、朝まで踊り明かした。

その頃一緒に遊んでいた仲間達の殆どはもうすでに嫁に行ってしまったが、実は私は今でもこっそり夜の町にくり出す。当時友達と大声を出して歌をうたい、時には大人ぶって歩いた、六本木や青山界隈を散歩するのだ。

きちんとした服を着、しっかりした言葉を使い、取引先の客に笑顔で挨拶する。それが今の私の仕事上での表面的な日常だ。そういった日常に疲れた時、そんな自分を重苦しく、つまらなく感じた時、私は夜の町を歩く。

六本木や麻布の湿った空気、表通りの喧騒がウソのようにしんと静まり返った路地裏、車の急ブレーキの音、遠くから聞こえる男女の嬌声、歩いている時にスレ違う人、、、。不思議だが、そんなものを感じている時、私の中には新しいエネルギーが流れ込んでくる気がする。

わずらわしいこと1つなく、時間に追われることもなく、とにかく遊ぶことで精一杯だったあの頃の私。勉強が大嫌いで、“明日”のことすら考える余裕もなかったほど、その瞬間の“今”を思う存分楽しんでいた私。そんな無邪気な私が“今の私”のどこかにもきっと、いる。そんな感覚がくすぐったい。

ふと耳元で声がする。「どーしたの?バカみたいに暗い顔してさ。嫌なことなんてどうでもいいじゃん!六本木の裏にあやしい人達が集まるクラブみつけたんだ。おもしろいよ。一緒に騒いで遊ぼうよ」

私は思わず苦笑いをする。昔の自分に腕を引っ張られる。スキップをする。湿った風が心地いい。

聖なる場所。何かに行き詰まった時、新しいエネルギーが欲しい時、私はこれからもその場所に行くだろう。

2001.07.26