〔19〕自律神経失調症<後編>

新しい仕事(つまり今の仕事)についてから、1カ月、いや2カ月近くは眠れない日々が続いた私は、色々な快眠方法を試してみた。人間の鼓動と同じリズムと言われる波の音のCDを聴いたり、アルファ波を刺激するアロマオイルを買い、部屋にまいたりした。

しかし、その効果は殆ど見えず、結果的にその疲れやイライラは仕事中にも及ぶようになりはじめた。

朝、電車に乗っていると、急に熱が出てくるような感覚でフラフラしてしまう、仕事中、端末を叩いていると暑くも寒くもないはずなのに、大量の汗をかいしまう、電話に出た時どもる、そんな症状が出始めてしまったのだ。

怖い、怖い。どうすればいいのだろう。途方にくれていた矢先、親友から「精神的なものだよ。しじみはいつも強がってしまうからね。そういう人には神経の病気が多いっていうから一回診てもらいなよ。」と病院を紹介された。

「自立神経失調症」

漠然とその病名が頭の中にあった私は思いきってその病院に行き、診察に入り、開口一番「たぶん私は自律神経失調症だと思います」と告げていた。

すると先生は「あなたは健全な人間よ。自律神経失調症ではないわ。」と私をまっすぐ見つめて、一笑した。

その瞬間、何故か私は大泣きし、喋ることもできなくなってしまったのだ。先生はこうおっしゃった。「自立神経失調症というのはね、病気のゴミ箱なのよ。検査しても原因が見つからない時に、しかたないから病名つけちゃえ、ってバカな医者がつけた病気なの。だからそんな風に決めつけては絶対だめ。」

落ち付きを取り戻した私はそれまでの経緯を話した。「今の状況、先のこと、全てに不安がよぎるときがあり、それには“これ”といった理由がないため、それがとても怖い」「毎日がとても無意味に感じられ、楽しいことが1つもなく、何のために生きてるかわからなくなることがある」と説明した。たぶん滅茶苦茶な説明だったと思う。

ずっとニコニコと私の長い話を聞いてくれた先生は「誰だって持つ悩みね。でもあなたは健康よ。何かに悩んだり落ち込んだりできない人間の方がずっと不健康なのよ。」

そしてまた私をチラッと見た後、「あなたはオシャレ好きでしょ?そのシャツとてもステキよ。暇がある時はそれに時間をかけなさい。きれいでいることだって、自分の身を助けてくれる大切なことの1つよ」と付け加えた。

何度も励ましてくれた後、先生は漢方の睡眠薬を処方してくれた。「それを飲んでも眠れなかったらもう1度きなさい」そう言って私は診察室を出された。

自分が単純なせいか、先生のアドバイスのしかたが的確だったせいか、はたまた処方してもらった薬のせいか、それからの私は徐々にいつも通りの元気を取り戻せるようになってきた。

実は今でも、寒い日に汗を大量にかいたり、急に眠れなくなったり、とその兆候がでることがある。そんな時はその薬に頼り、先生と話をするために病院に出向いたりすることもあるが、前に感じたような切迫した不安や恐怖感はない。

「これが今の私の正直な姿なのだろう」と思うようにしている。

強い人、弱い人、というのを私はあまり考えない。何故ならそれは状況により変わるからだ。強い人だって、周りの状況全てが自分にとって不利になれば、弱くなってしまうだろう。弱い人のその逆だってあるかもしれない。生きているということはそうやって変化し、動いているものだと私は思うようになった。

私は確かにあの時、自分を律することがうまくできなかった。あの頃の私には確実に「自立神経失調症」の兆候があった。もし、病院でそう診断されたら、それはそれで終わっていただろう。

でも、私には「絶対に違う」と最後まで押しとおしてくれた先生がいた。そういうことで人というのはしっかりした精神を持ちつづけることができるのではないかと思うのだ。

何か1つのことを結論づける前に、全く違う方向を見つめてみる、そうすることによって、それが目に見えない漠然としたことであっても、いや、あればあるほど、人というのは無限の可能性を信じることができるのではないだろうか。

大切なのは“強くありたい”時も、思いがけなく“弱くなってしまった”時にも、その根底に「健全な精神」があるかないか、なのではないか、と今、私は思っている。

2001.10.18

〔18〕自律神経失調症<前編>

2年ほど前(今の仕事につく前)、なかなか次の仕事が決まらなかった。家でだらだらと時間だけ食いつぶす日々が続き、こずかいも底をつき、人と会うこともままならなくなった。派遣で長年やっている方なら同じ経験をしたことがあると思うが、私も例にもれず、そんな時期があった。

基本的に“仕事”が嫌いで、「こんなことがやりたい」という的確なビジョンをもたない私にとって、仕事を探す期間ほど辛い時間はない。派遣というのは時期によって全く依頼がない時もある。また、せっかく依頼された仕事が全く自分に向かない、ということもよくあるわけだ。

その頃依頼がきた仕事は非常にしょぼい仕事ばかりで、「これなら」と思えるものがなかったため、断ることすら疲れ果ててしまっていた。「あまり断ってばかりいても、“やる気ない人”と思われて、もういい仕事を回してもらえなくなるかもしれない」とその頃は非常に神経質になっていた。

毎日昼に起きる。顔はむくみ、表情がものすごく暗い。日がな一日、自宅にこもっているわけだから、自然と髪の毛や身体も適当にしか洗わなくなってきてなんだか薄汚い。

「これでは廃人同然だ」「ダメになってしまう」と思った私は一念発起して、とりあえず仕事のことは忘れ、好きなことだけやろう。と考えた。

幸いにも私は読書や音楽鑑賞、という比較的金のかからない趣味があった。

高校生の頃から読もう読もうと思って、つい遠ざけていたプルーストはきっと今、この時でなければもう一生読めないかもしれない!大好きな手塚治虫のマンガ全て最初から読み直すのことも必要だ。そして天気のいい日は窓を開けて、マリア・カラスを聴こう。たまには自分が聴いたことのないジャンルも聴いてみようかな。

考えてもみれば、金がないのはいいことだ。好きなものが近くにあれば全ての雑念から解き放たれることができるだろう。この期に“自分ワールド”を作って、しばらくそこで過ごそう。長い人生なんだ。少しは中休みもだって必要だろう。世の中で騒いでいる「引きこもり」を自らが体験するのも悪くない。

そんなかたちで思い付きの構想は大きく膨らみ、私は図書館であらゆるジャンルの本を借り、少ない所持金の中から、CDをレンタルした。

さあ、これからが私の時間だ。と先行きが明るくなってきた直後、今の仕事が見つかったというわけだ。

派遣というのはタイミングが大切だ。何度も仕事を転々としてればわかるものだが、自分の直感を信じ、「なかなかいいな。それならできるかもしれない」そう思ったら、一気に乗ってしまう、そんな潔さが必要不可欠だ。

そういうわけで、せっかくの“自分ワールド”構想はそこで中途半端なまま、もろくも崩れ去り、結局私は現実の“お仕事”の世界に戻って行ったわけだ。

最初のうちは必死だった。「おいおい、話が違うぞ」と叫びたくなるくらいその新しい仕事は残業が多く、4カ月もブランクを空けてしまった私にとっては非常にキツイ仕事だったが、とりあえず最初のうちはやみくもにやっていた。

2~3カ月ほど経った頃からだったろうか、毎日ひどく疲れていたにもかかわらず、私は変な脱力感に襲われ、夜、眠れなくなった。まぶたは腫れ、強いだるさを感じる。精神はまいり、肉体も疲れている。それなのに眠れないのだ。

朝方になってなんとか軽く眠る、ということを繰り返していたため、朝は母親に起こしてもらわないと自分で起きる事すらできない、そんな毎日を送っていた。

“快眠”“快食”“快便”の3原則を常に重要視している私にとって、これは緊急自体だった。自分の身体が言うことを聞いてくれないことに私は焦りを感じ、今までにない恐怖感に襲われるようになった。

毎日が辛過ぎる。きっとこの仕事が私に合ってないんだ。そう感じ、辞めさせてもらおうと思うのだが、それがどうしてもできない。どういうわけか、ここを辞め、またプーに戻るのが恐ろしかった。

「この仕事のどこが私に合っていないのか」「何故プーに戻ることが怖いのか」その簡単な説明すら全くできない。“できない”というより、考えるのこともままならない自分がいた。自分が一番怖かった。

来週の後編に続きます

2001.10.11