〔15〕ミソジ考 ~女心と曇り空~

こんにちは、しじみです。先週の「できる仕事、できない仕事」に対し、皆様から沢山のご意見をいただきました。常につまづいてばかりいる私ですが、みなさんのアドバイスにより、だいぶ考え方が変わってきてるような気がしている今日このごろです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

今年の4月で30歳になった。よく年下の友達に「そう言えばしじみさんはもう30なんだよねー。ビックリだね。30になって変わったことってある?」なんて質問を受ける。

変なところでカッコつけしぃな私は「特別変わらないよ。私は私だからね。」などと偉そうに言って、年下の友達に「へえー。そういう年の取り方ってなんだかいいね」なんて感心され、ちょっと鼻の下を伸ばしたりしているが、実はそんなことは全くない。

一番変わったのは体力だろう。まず、疲れがなかなか取れなくなった。昔は仕事がどんなに忙しくても、一晩眠ればどこへやらだったし、夜通し遊んでそのまま出勤しても、たいしたダメージはなかった。ダイエットしたいと思ったら夜食抜きで運動量を増やせば、一気に2キロくらいは痩せられた。要するに何をするにもラクラクだったのだ。

しかし今は違う。どれをとってもその逆だ。当たり前かもしれないが、体力はハタチ前半の頃に比べると格段に落ちた。それ以外にも肌のハリや小皺、ヒップやウエスト部分のたるみ、など表面に出るものの衰えも細かく数え上げるとキリがない。

女性というのは不思議な生き物で(私だけかもしれないが)、自分の衰えに気付くと、とたんにそういったマイナス部分を隠し、いい部分だけを見てもらい、その部分を評価されたい、と強く思うようになる。

そんなこんなで「ヤバイな、最近顔に疲れがすぐ出るよなー。イライラするとすぐに食べてしまうから、ふくよかになりつつあるし。」と、イメチェンを計画した私は、一気に髪を10cmほどカットし、思いきり女を意識できるような内巻風のパーマをかけてみた。

「明日会社に行ったら、みんな何て言うだろう」

久し振りにそんなウキウキした気持ちで出勤した。電車の中の人達がみんな私に注目している、そんな錯覚すらおぼえるほど、その日の私は朝からゴキゲンだったのだ。

会社に着き、自席に座った私は「おはようございまーす」とワントーン高い声でみんなに挨拶した。ところどころから“月曜日なんだから朝から甲高い声出すんじゃねーよ”といわんばかりの暗いこだまが返ってきた。

ま、ここまではいつもの朝の風景だ。しかし、いつまでたってもリアクションがない。誰も何も言ってくれないのだ。その日は11時になっても昼を過ぎてもなんと誰も何も言ってくれなかった。

みんなのリアクションを過剰なほどに意識し“こう言われたら、こう返そう”なんてことまで構想を練っていた私はスッカリ気が抜けてしまった。そして気が抜けたとたんに複雑な悲しみと怒り、そして最後に、隠し持っていた意地悪な心が頭をもたげた。

私はバンバン鳴っている電話をとるのをやめ、忙しそうに仕事をしている茂手木君に「ねえねえ。私を見て気付いた事何かない?」と思いきり思わせぶりに聞いてみた。するととたんに茂手木君は目が泳ぎだし、「え?髪型ッスか?僕気付いてましたよ、朝から」と返してきた。

え?なんだと?わかってたんじゃねーか!だったら言えよ。この間隣の部に22歳の子が入ってきた時なんて、仕事上接点もないくせに男同士でヒソヒソと「あの子かわいいっすよね。スタイルもいいし。マツ毛なんてこーんな長かったですよー」なんて言ってたくせに。

そんな覚えていなくてもいいようなことを思い出した私は「今度から私が髪の毛切ったりした時はちゃんと言ってよねー。茂手木君いつもカリカリ仕事してるから大切なことを忘れちゃうんじゃないの?そのうち彼女にだってフラれちゃうよ」と大声で言っていた。

あーあ、またやっちゃった。こういう行動自体が(私は若い頃からこういう行動をとることが多かったが)「オバヤン」と言われてしまう所以なのだろう。きっと茂手木君も「30の女の人に、軽く言っていいものか、どうか」を悩んでいたのかもしれない。女はいつになっても言って欲しいものなのに。複雑な乙女心。

快晴だった朝の空は、帰りにはどんより雲っていた。今にも雨が振り出しそうだ。まるで私の心の中みたいだな、こりゃ。

これを読んでる男性諸君、どうか女性がイメチェンした時は、恥ずかしがらずに、何か一言声をかけてあげてくださいませ。

2001.09.20

〔14〕できる仕事、できない仕事

こんにちは、しじみです。一昨日から会社では仕事の話より、NYの世界貿易センタービル炎上の話で持ちきりです。私の周りには「戦争になったらどうしよう」なんて心配している人もいれば、「次はサンシャイン60じゃない?」なんて脳天気なことを真顔で言ってる人もいて、“人は色々なんだなぁ”と非常に興味深いものを感じました。かくいう私も第一報を聞いた時点ではスッカリ「浜松町の貿易センタービル」と思いこみ、翌日会社でそのことを話したら、周りの人に「君は本当に危機管理が甘そうだね」なんて言われてしまい、一気に落ち込んでしまった次第です。このテロ事件、日本も狙われていたとのこと。今後日本に飛び火するようなことのないよう、祈るのみです。

私は派遣スタッフだ。派遣という肩書きで5年もやってりゃ、様々な企業を渡り歩くわけだから、それなりに適応力も備わり、うまい立ちまわりも覚え、そろそろ“派遣のプロ”になってもいい頃だろう。しかし、どの企業に属していても時として「大きな疑問」を感じることがある。

就業先が決まった段階で、派遣会社からは「就業条件提示書」たるものが送られてくるが(呼び方は各派遣会社によって様々)その書面の業務内容の欄には“OA機器取り扱い業務”“経理業務”“営業事務”というような書き方しかされていないことが多い。

もちろん子供ではないのだから、「これはやってください」「ここまではやる必要ありません」などと明記する必要もないのだろう。社会人なのだから、ある程度は自分の判断で仕事をしていくべきだ。

しかしながら、実際現場で仕事をしていると“あれ?これって私がやるべき仕事なのだろうか”などという疑問がけっこう多いことに気付く。

私の現在の業種は「営業事務」だ。しかし実際にはそれに加え“ファイリング”“部長の秘書的業務”、支払いに関する“営業経理”的なことまでやっている。つい最近では、取引先の関係で毎週届くお花を社長室と部内の2カ所に分けていける“お花係り”という業種も新しく加わった。

「ここまでやるのはゴメンよ」と投げ出したくなった時期もあったが、“少し無理をすればできないことでもなかった”という理由と、“何事もやっておいた方が後々役に立つこともあるかもしれないから”という2つの理由から私はそれらを引き受けた。

そう、どんな仕事もそうだと思うが、派遣にも完璧なマニュアルというものはない。業務内容うんぬんではなく、大切なことは“自分の出来得る範囲でとりあえず、やってみる”という気持ちだと最近思うようになってきていた。

そんな風に珍しく前向きに仕事に取り組んでいた矢先、課長に呼び出され、仕事の話をされた。

4号の“時間の使い方にマイッた”でもちょっと触れたが、うちの会社は手書き処理が多い。つまり二度手間の部分が非常に多い。

課長からの仕事の話というのは「その部分を改善するためにシステム部の人間と相談しあってうちの部に合ったシステムを作り上げて欲しい」ということだった。

仕事の大切さを見直していた時だっただけに、正直腰が抜けた。私は営業事務なのであって、システムエンジニアではない。エクセルやワードなどのアプリケーションの知識だって無いに等しい。なのに、その私に「システム部と相談してそれなりにパソコンで処理できるものを作れ」?

明らかに、これは私の契約内容以外の仕事だ。いくら許容範囲の広い私といえど、そこまではできない。単純に嫌だから“できない”と言っているのではない。知識がないから“できない”わけだ。心の中にドロのようなコッテリしたものが渦巻いていくような気がした。

悔しい。「できない」ということはとても悔しい。“会社のために、自分の勉強のためにやりたい”という気持ちはある。“派遣スタッフはなんでもできる”とでも思っているのだろうか。私は便利屋ではない。ましてやシステムを作る仕事に携わった経験もない。専門の人を雇えばいいじゃないか。

いったいどこからどこまでが“派遣スタッフとしての私の任務”なのだろうか。そんなことを改めて考えさせられる出来事だった。契約書の中の「業務内容」欄の下に(ちょこっとでいいから)「非業務内容」欄てなものも記載しておいてくれると助かるんだけどなぁ…。

2001.09.13