〔39〕辞める理由と心の五感

忙しい生活を続けていると「五感が鈍るのではないか」と思うことがあります。先日、街を彩る人工的なディスプレイでしか季節感を感じられなくなっている自分に気付き、ちょっとしょげてしまいました。寒い寒いと思いながらも、ふと金木犀の匂いをかいだ瞬間に「あ、今、春になった」、そう感じられるような健全な心と身体を常に持っていたいと思います。

長く派遣生活を続けていると、「ここももうそろそろかな」と思う瞬間がある。“そろそろ”というのは、潮時、つまり辞め時ということだ。

私は今まで(短期やバックレを抜かし)、合計3社を契約満了というかたちで辞めてきたが、実は辞める時に「これ」といった理由はなかった。

周りの人は「以前から違う職種の仕事がしたかったので」や「結婚するので」、「もう完璧にやって、やり残したもないので」等など様々な理由で、辞めていったが、振り返ってみると私にはそういう確固たる理由が全くなかった。

何故なのだろう。

そこにはたぶん日常の精神状態では計り知れない、心の奥底にある“五感”のようなものが働いているように思うのだ。

派遣という働き方はある意味複雑で、精神的なリスクが多い。言わずと知れたことかもしれないが、実際に「働く会社」と「雇用主」が違う。つまり派遣でいる限り、どんなにその会社の仕事を理解していても、その会社の人間ではないわけだ。

好きで選んだ道とは言え、その動かしようがない事実は、私の心に暗い影、逃げ道、時には安心感などを与えてきた。

「あなたは派遣さんなんだから、これ以上はやる必要ないよ」といわれれば、“悔しい気持ち”と“ホッとした気持ち”の両方が同時に存在してまう。「このくらいはやってよね」と言われると“私この会社の人間じゃないのに”というちょっとひねくれた気持ちと“やらせてもらえるんだ”というある種の希望が芽生える。

両極端な物事をどっちに捉えるか、というのはその人次第だ。常に明るい方に考えられる人、ひねくれて考えてしまう人、色々いると思う。

だが私の場合は、両方の気持ちを割りきったり、切り替えたりする事がうまくできないわけだ。

もちろんそういう人間はたぶん私だけではない。長期の派遣として働いて、1~2年で契約を終える人が多い原因は、実はそういう「精神コントロール」がうまくできないというところにあるのではないかと思うのだ。

その精神コントロールという中枢を使い過ぎ、そのちぐはぐさに疲れ果ててしまった時、心の奥の五感のようなものが「もうそろそろ休みなさい」というメッセージを送ってくれるのではないだろうか。

そして、最近この「もうそろそろ休みなさい」というメッセージが、私の中でうずき出しているような気がする。

そろそろ今の会社を卒業し、ちょっぴりのんびり休んだ後、次の企業に移るのも悪くないかな、と思っている。

2002.03.08

〔38〕毒されていた私

日本人の約80%は冬になると“軽度のうつ病”にかかると昔何かの本で読んだことがある。それは殆どの場合自分では気付かず、春の到来と共に治ってしまうらしい。

寒さの大嫌いな私は(ハッキリした診断を受けたことはないので定かではないが)たぶん毎年、この軽度のうつ病にかかっているような気がする。今年も出だしからそうだった。

症状として挙げられるのはまず、何をしても面白くない。つまり感情がなくなる。誰と喋っていてもどうでもいいような発言をしてしまう。おかしい話をしてて、顔は笑っていても心は冷たい風が吹いている、そんな感じだ。

仕事をしていてもどこか変だった。上司から冗談を言われればいつも笑顔で対応し、端から見てもテキパキ動いているように見えたかもしれない。でもそれは生身の人間ではなく、感情というものをそっくりそのまま抜いて作られたロボットのようだった。

「やばいな、このままじゃ。軽度どこじゃないかもしれない。自覚症状が薄い間に重度になっちゃうかもしれないから近々医者でも行くかな」そんな風に感じていた折、同僚の加藤君(度々このメルマガにも登場してくれる、あの仕事のできない加藤君だ)から「今度飲みに行きましょう」という誘いを受けた。

久々の年下男性からの誘いにちょっぴり鬱々度が軽減され、ウキウキ気分にすらなった私は早速日にちを決め、2人で内緒で飲みに行くことにした。

当日「ずっと外田さんに怒られてて、、、」と遅くなった言い訳をして入ってきた加藤君は、目の前のイタ飯には目もくれず、まるで通夜の席で故人でも偲ぶかのようにポツリポツリと自分の心境を語り始めた。

「僕、もう決めてるんですけど、年内で会社辞めます。この仕事合ってないって前々から感じていたし、もともと夢があったから」

心なしか、スッキリした表情だった彼は“大学の頃から検事を目指していた”という夢を語り、「僕が辞めたら、仕事で一番迷惑かかっちゃうのは山口さんだから、一応話しておいた方がいいかな、と思ったんです」と締めくくった。

正直ビックリしたが、何故か止める気は微塵も起こらなかった。まともな人だったら「あなたはこの不況に何十人何百人という中から選ばれた人間なんだよ」とか「正社員として会社に守られているんだよ。特にうちは大手なんだから仕事ができなくたって、いるだけ得なんだよ」と常識的なことばを並べ、止めたかもしれない。

ても、私は「夢」ということばを聞いてしまうと、どうしても身動きがとれなくなってしまうらしい。彼は「目の前の安定」や「エリート意識」よりも「自分の夢」を選んだ。私はそういう一本気な、自分で自分の道を作っていくという人に非常に弱いのだ。

もちろん加藤君がいなくなったら、私がこうむるであろう被害は計り知れない。ましてや4月から二人三脚でやっていかなくてはならないのだ。二人三脚は1人ではできない。私は窮地に立たされるだろう。

だが、そんなことはその時考えればいいことであって、今この段階では関係ないことだ。そんな風に思うくらい私は目の前のこの26歳の男の子の夢を一緒に応援してあげたくなっていた。

「山口さんに言ったら絶対怒られるかと思ってました。引き止めないんですね」ビックリしている加藤君に向かって、私は「愛の告白とかだったらもっと驚いてあげられたんだけどね」とおばさんギャグを連発し、“いいな、夢があるって”と心底そう思った。

今まで加藤君の仕事のやり方を見て「仕事ができない人間は、人間できない」なんて思っていたこともあった。「自分より下」と見下していた時期もあった。違うんだなぁ、そういう見方って。いつのまにか「会社菌」に毒されていたのかな、私。そう感じたとたん、なんだか恥ずかしくなった。

そして何よりもその感情は、久々に芽生えた自分らしい感情だった気がした。

春はもう目と鼻の先。私だって26歳の男の子に負けてられない。

2002.03.01