〔13〕心の穴

台風が過ぎ去ってから、朝晩少しずつ肌寒くなってきましたね。先日なんの気なしに空を見上げたらうろこ雲が出ていて「もう秋なんだなぁ」と実感。この季節になると私は毎年急にせつなくなります。普段は気付かないような小さなことに気付いたり、本や映画を見てもいつもの倍くらい感情移入してしまったりします。不思議ですね。今回はそんな心の不思議について考えてみました。

毎度のことかもしれないが(笑)、先日仕事で本当に頭にくることがあった。長くなるので、また別の機会にお話できればと思うが、原因が営業マンの“連絡ミス”というあまりに単純なことだったため、余計に腹がたった。

私はその日夜7時から友人と食事をする約束をしていたのだが、その約束に大幅に遅れ、タクシーを使い現地に向かった。

レストランに着いた私は友人にひたすら謝り「かくかくしかじかで」と事の顛末を話した。何故かその時の私はもう怒りで我を忘れた状態で、どうすればうまく心の切り替えができるのか、それすら考えることのできない状態だった。

仕事、人間関係、自分のこれから、など、1つうまくいかないことが発生するだけで、全てをネガティブに考えてしまう、そんな悪い癖が私には昔からある。

たった1つ仕事がうまくいかなかったことから、挙句の果てに自分の将来ことまで悲観しはじめてしまった私は、今までずっと心の隅っこに意識的に隠しておいた「先々の不安」を話しはじめてしまった。

私の話をニコニコ聞いてくれていた友人は、静かにこう言った。「しじみは偉いね。それに比べれば私なんてあまり真剣に自分のこと考えてないのかもな。私の夢はおばあさんになった時、“星に願いを”を英語できれいに歌えたらなんてすてきだろう、とかそういうことだもの。だから2カ月前からボーカルスクールに通いはじめたんだけどね。でもこれがなかなか難しくて。」

そういって、彼女は照れたようにクスクス笑った。

その時、私はなんだかふっと情けないような気持ちになり、肩の荷がおりたような、力の抜けた気分になった。理由はわからない。彼女の雰囲気、彼女のちょっと力を抜いた地に足のついた生き方、そんなものを感じてるうちに、たかが仕事がうまくいかなかっただけで、ブリブリしている自分が急に滑稽に思えてきた。「ああ、そうか。それでいいのか。」うまく言えないが、そんな気持ちになったのだ。
人間の身体には(特に変な意味はないが)色々な穴がある、と私は思う。心は目に見えるものではないが、その“心の穴”というのはとても大切なものだ。身体にある目に見える穴とは違って、それはあいたりうまったりする。

淋しい時にも、煮詰まってる時にも、ショックな時にも、そして何かにひらめいた時や、新しいものが入ってくる時にもその穴はあく。そしてその穴が、どんなことによってあいて、更にそれをどんなもので埋めていくかはその人次第で、それがとても重要なんだ、と思う。

その晩、私は彼女にとてもきれいな風通しのいい穴をあけてもらった気がした。こういったちょっとした日常の中で、大切なことを私はいつも友達に学ばせてもらっているんだ。その日パンパンだった私の心は、また新しいものを受け入れられる状態になった。

この穴をどんな風に埋め直していくかは、私次第。ちょっとくらいいびつでもいいよね。ピッタリにうまらなくてもきっと大丈夫だよね。でもきれいなもので埋められるように、この穴、大切に大切に使うね。ありがとう。とろけそうなデザートを味わいながら、私は心の中で友達に感謝した。

私も彼女のように人の心に風通しのいいきれいな穴をあけてあげられるような、そんなすがすがしい人になりたいなぁ。

2001.09.06

〔7〕聖なる場所

しじみです。毎日溶けちゃうような暑さが続いてますが、皆さんはもう旅行などされましたか?私の部ではもうすでに何人かの人が休暇をとり、早い夏休みを楽しんだようです。旅行がそれほど好きではない私は、この時期になると実は毎年悩みます。「え?どこも行かないの?」と言われるのもなんだか悲しいし、かと言って今のところ「ここに行きたい!」というほどの場所もないしな。8月の末あたりに4日間ほど休暇を取る予定なので、オススメの場所などありましたら、是非教えてください。

先日、ある番組で登山などしそうもない有名な女優さんが「登山を初めてから、自分の原点はここにあるんだということに気づいたのです。私にとって山は聖なる場所なんですね」というような話をしていた。

「ほう、聖なる場所か。私にとってはどこかな」なんて考えが思い浮かんだ。

エネルギーをくれる場所、自分が一番楽でいられる場所、それを聖なる場所とするなら、私の場合は間違いなく“夜の町”だろう。

私は高校時代から夜中外に出て遊ぶのが大好きだった。今でこそあまり飲めなくなってしまったが、そんなティーンの頃は夜な夜な友達と家を抜け出し、今でいうクラブでお酒を飲んで騒ぎ、朝まで踊り明かした。

その頃一緒に遊んでいた仲間達の殆どはもうすでに嫁に行ってしまったが、実は私は今でもこっそり夜の町にくり出す。当時友達と大声を出して歌をうたい、時には大人ぶって歩いた、六本木や青山界隈を散歩するのだ。

きちんとした服を着、しっかりした言葉を使い、取引先の客に笑顔で挨拶する。それが今の私の仕事上での表面的な日常だ。そういった日常に疲れた時、そんな自分を重苦しく、つまらなく感じた時、私は夜の町を歩く。

六本木や麻布の湿った空気、表通りの喧騒がウソのようにしんと静まり返った路地裏、車の急ブレーキの音、遠くから聞こえる男女の嬌声、歩いている時にスレ違う人、、、。不思議だが、そんなものを感じている時、私の中には新しいエネルギーが流れ込んでくる気がする。

わずらわしいこと1つなく、時間に追われることもなく、とにかく遊ぶことで精一杯だったあの頃の私。勉強が大嫌いで、“明日”のことすら考える余裕もなかったほど、その瞬間の“今”を思う存分楽しんでいた私。そんな無邪気な私が“今の私”のどこかにもきっと、いる。そんな感覚がくすぐったい。

ふと耳元で声がする。「どーしたの?バカみたいに暗い顔してさ。嫌なことなんてどうでもいいじゃん!六本木の裏にあやしい人達が集まるクラブみつけたんだ。おもしろいよ。一緒に騒いで遊ぼうよ」

私は思わず苦笑いをする。昔の自分に腕を引っ張られる。スキップをする。湿った風が心地いい。

聖なる場所。何かに行き詰まった時、新しいエネルギーが欲しい時、私はこれからもその場所に行くだろう。

2001.07.26