[12]チンドン屋

2019年3月21日

第12回
■チンドン屋
なんと云っても町中に活気を付けとのは「チンドン屋」でしょう。これは商店の大売り出しや宣伝のためにやったと思いますが、子供達にとっては娯楽でした。
ラジオと云ってもJOAKだけで、受信機も並み四球の精度の悪い物で禄に音がガーガー云ってて聞こえない代物だったのです。そこでチンドン屋は生の音楽が聴けた訳ですから子供達にも人気がありました。
チンドン屋の後を付いて回るのです。たまに商店の人がお菓子をくれたりするものでから、チンドン屋が来ると飛んでいきました。
大抵チンドン屋は三人くらいの編成で、メインは鐘と太鼓を前に付けて、大抵チョンマゲを結った男で、後ろに奥さんかクラリネットを吹いている女の人で、その後ろにあんちゃんがビラを配っている・・・と云う形が多かったようです。
演目は歌謡曲か流行歌で、これを聴くのが覚えるのが一番早かったようです。今は演歌などと云っていますが、当時は流行歌か歌謡曲と云っていました。
数十年たった今でも、チンドン屋が歌った曲が思い出されます。昭和七?八年頃だと思いますが・・「涙の渡り鳥」と云う曲
♪  雨の日も 風の日も 泣いて暮らす
   私ゃ浮世の旅烏   鳴くのじゃないよ
鳴くじゃないよ   鳴けば烏がまた騒ぐ・・・♪
これは女性歌手でしたが、男性歌手は上原 敏、東海林太郎などが活躍していた時です。
『想い出の戦前・戦中歌謡大全集』
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